絆が強かった長嶋氏と9歳上の先輩関根氏 第1次政権時にヘッド、2軍監督で支えられ

[ 2020年4月10日 09:00 ]

1976年7月、投手陣の投球を巨人・長嶋監督(奥)と見つめる関根潤三さん(中央)(二軍監督時代)
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 【Lega-scene あの名場面が、よみがえる。~ON編~】昭和、平成の名場面や名勝負を本紙所蔵の秘蔵写真からお届けする新企画「Lega―scene(レガシーン)」。第6回は9日に死去した関根潤三氏(享年93)を弔い、1976年の巨人2軍監督時代に長嶋茂雄監督とともに多摩川グラウンドで指導した貴重な一枚です。

 長嶋と関根がチームメートになったのは1965年。近鉄から移籍した関根は現役最後の年だった。1年だけだったが、長嶋は9歳年上の関根を慕った。

 2人の絆は強かった。現役晩年、長嶋は田園調布の自宅に関根を呼び、地下室でスイングをチェックしてもらった。そして75年。引退即監督に就任すると、ヘッドコーチとして招いた。関根は翌76年も2軍監督として長嶋第1次政権を支えた。

 長嶋は80年限りで監督を辞任。浪人生活に入ったが、「ミスター人気」を他球団が放っておくわけがない。最も熱心だったのが大洋だ。1年後の81年に招へいに動いた。ラブコールは届かず、監督になったのは長嶋と親交が深い関根だった。就任会見でこう言った。

 「僕は長嶋君が好きなんですよ。もし彼が入ってくれたら、喜んで監督の座を譲るつもりはある」

 長嶋招へいはかなわず、関根は3年間指揮を執ることになった。長嶋は12年間の浪人生活を経て、93年に巨人監督に返り咲いた。

 2人の絆は続く。03年11月に行われた関根の殿堂入りパーティー。長嶋は風邪をひいていたが、病院で点滴を打って駆けつけた。(敬称略)

 ▼長嶋茂雄氏 私が初めて監督になった1975年、ヘッドコーチとして支えてくれました。とても温厚な人柄で、みんなに慕われたあたたかいヘッドコーチでした。大洋、ヤクルトと監督を務め、日本の球界を引っ張ってこられた貴重な方を失い、残念でなりません。ご冥福をお祈りいたします。

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