広澤氏 関根さん追悼…優しい感じの「ばーか!」でも…実は怖かった

[ 2020年4月10日 05:30 ]

関根潤三氏死去

88年、ユマキャンプを打ち上げる(右から)関根監督、長嶋、広澤
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 プロ3年目からの3年間、関根監督の下でプレーした。当時のヤクルトはずっとBクラスで私も1、2年目(1985、86年)はいずれも最下位。チームは勝てないし、私個人もあまり打てなくてプロでやっていく自信があまりなく、野球ってつまんないなと思いかけていた時に関根さんが就任された。

 世間に知られるイメージ、あのまんまの人。やはりチームは勝てなかったが(4位、5位、4位)、明るく楽しく野球をさせていただきました。私も3年間フル出場し、池山とともに「イケトラ」と称され自由奔放にやらせてもらえたのも、関根監督だったからだと思います。

 お酒が飲めない方で、遠征先ではナイター後にホテルの監督室に呼ばれてコーヒーと甘いものでよく話をしました。あのような方なので何でも話しやすく、アルコールが入っていないのに、いろいろな話を延々としたなあ。いまだに夜中に男同士でケーキを食べたのはあの時だけですね(笑い)。

 下を向いたり、一生懸命にやらない時だけ「ばーか!」と怒られました。怒鳴り散らすのではなく、やっぱり優しい感じなのですが、でも、実は怖かった。「ばーか」の一言だけなのですが、言われたときは背筋がピシッとなりました。

 間違いなく、恩師と呼びたい一人です。勝ちたかったし、勝たせてあげたいと思わせる監督でしたが、若手に切り替えていたタイミングでしたし、まだ私たち選手が未熟で優勝争いできる力もなかった。でも、それまで地味でおとなしかったヤクルトをガラリと明るく変えた方で、それは今のチームカラーにも脈々と受け継がれています。

 その後、野村克也監督で日本一になりますが、その土台を築いたのが関根さんです。ここ数年の闘病中はお会いできませんでしたが、もう一度、コーヒーとケーキでそんな話をしたかった。池山も、ギャオス内藤も、笘篠も、当時の選手はみんな同じ気持ちだと思います。(スポニチ本紙評論家・広澤克実)

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