2度の戦力外…大松尚逸、最後は独立リーグで完全燃焼

[ 2019年12月9日 10:00 ]

決断2019 ユニホームを脱いだ男たち(番外)

ロッテから戦力外通告を受けた後、2年間ヤクルトでプレーした大松尚逸
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 8月17日のBCリーグ・新潟戦。第3打席。福井の大松は右翼へ飛球を打ち上げ、一塁へ駆けだした。その瞬間。「バキッ」と左膝が破壊される音が体を突き抜けた。「ああ、これはもう無理や。終わったなって。自分で分かりました」。激痛で足を地面に着くこともできない。

 試合終了後、電話をかけた。「先輩、ケガしました。たぶん、半月板をやりました。これで引退と思います」。相手は、ロッテ時代から「師匠」と慕ってきた福浦。入団2年目の06年オフ、球団納会時にグラスにビールを注ぎ「教えてください」と頭を下げて以来、師弟関係にある。

 ヤクルト2年目の18年オフ、自身2度目の戦力外通告を受けた。「“これで引退”って考えたときに、どうしてもまだ心残りがあった」。妻、そして福浦らにも相談。「完全燃焼」の道を選んだ。米独立リーグでの現役続行を探った。だが年を越し、1、2月と時間は過ぎていく。焦りから、ロッテ時代の戦友で福井の田中雅彦監督に電話を入れた。

 「球団にも確認した上で、“いいよ”って。うれしかったですね。もう本当に」。NPBに比べれば当然、環境は悪いが、上のステージを夢見る若者と汗を流す日々は新鮮だった。「(グラウンド)整備とかも自分たちでやってね。いい経験になりました」。選手としてプレーし、若手には助言も送った。

 左膝は半月板の断裂だった。手術後のリハビリ中、ヤクルトから来季コーチの打診を受けた。「ロッテをクビになったときも拾ってもらって、今度も声を掛けていただいた。感謝してますし、恩返しがしたい」。2軍打撃コーチに就任。秋季キャンプで積極的に選手たちと会話し、個性の吸い上げに時間を割いた。

 「自分で自分のことを知らないと駄目。プロの世界は競争。いつまでも周りが助けてくれるわけじゃない」。ロッテ時代、福浦から言われた言葉である。

 「自分のことを考えることで、引き出しが増えていった。僕もそういう選手を育てたい」と大松。10年に主軸として日本一に貢献。その一方、今年の春先には所属先すら決まらなかった。苦楽を知る大松には、次世代に伝えたいものがある。(川手 達矢)

 ◆大松 尚逸(おおまつ・しょういつ)1982年(昭57)6月16日生まれ、石川県出身の37歳。金沢から東海大を経て04年ドラフト5巡目でロッテ入団。08年に自己最多の24本塁打を放った。16年は右アキレス腱断裂の影響で1軍出場がなく、同年限りで退団。17年から2年間はヤクルトに所属し、19年途中からBC福井でプレーした。1メートル84、93キロ。左投げ左打ち。

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