元高知商監督・谷脇一夫氏 思い出す78年“逆転のPL”と明暗分けた初采配の差

[ 2018年8月13日 10:00 ]

第100回全国高校野球選手権記念大会第8日・2回戦   浦和学院9―0仙台育英 ( 2018年8月12日    甲子園 )

高知商を率いて、甲子園通算25勝を挙げた谷脇一夫氏(右から2人目)
Photo By スポニチ

 【名将かく語りき〜歴史を彩った勝負師たち〜第8日】高知商監督として甲子園通算25勝を挙げた谷脇一夫氏(74)が56代表最後の登場となった浦和学院―仙台育英戦を観戦。仙台育英・須江航監督の甲子園初采配を自らの経験と重ねて見るとともに、浦和学院・渡辺の好投に目を凝らした。

 序盤からリードした浦和学院が流れを渡さず勝ちきった。仙台育英は立ち上がり、惜しい場面が2つあった。初回の守りは2死二、三塁で、打者・佐野君にカウント2―2から2点二塁打を許した。一塁が空いていたので、ベンチから投手に「簡単にいくな。満塁でもいい」とひと声飛んでいればと思った。2回の攻撃は連続三振の後、沢田君が初球を打って遊ゴロ。好投手の渡辺君から2死走者なしからそうそう点は取れない。後々を考え「待て」の指示で球数をかけさせたかった。

 この試合で注目したのは、浦和学院が13年に負けたリベンジをしたいという思い。それと仙台育英の須江監督が新監督で、初めての甲子園の采配ということだった。特に監督については、自分の初出場を思い出した。

 78年夏だ。エース森浩二(元阪急)が試合ごとに成長するのを感じながら、決勝まで進めた。相手は西田真二(元広島)と木戸克彦(元阪神)がバッテリーのPL学園。2―0の9回に逆転サヨナラ負けした。ピンチになって、ベンチで大声で指示を出したけど、決勝の大観衆の中では選手に届いていなかった。私に経験があれば、高知商が今も果たしていない夏の優勝に届いていたかもしれない。それからは必ず、声と同時にジェスチャーをした。余談ながらPLとは3回やって3回負けたが、その年のPLは全て優勝だった。

 仙台育英は投手、捕手、代打と選手を切り替えながら、食らいつこうとした。昔は「2点差はワンチャンス」とよく言われたが、今の高校野球は4点ぐらいはワンチャンス。0―4から次の1点を先に取りたかった。その中で、バットを短く持つ工夫はあってもよかった。渡辺君の球威に全部、負けていた。

 裏を返せば、渡辺君がそれほどすばらしかった。スピードも変化球の切れもある。私が監督をしていた時の高知商からも森、80年センバツで優勝した時の中西清起(元阪神)、さらに83年の津野浩(元日本ハム)、85年の中山裕章(元中日)、86年の岡林洋一(元ヤクルト)、88年の岡幸俊(同)と6人の投手がプロに行ったが、渡辺君はずっと上だ。

 フォームもすばらしい。いい投手の条件として私が常に見るのが、肘がしっかり上がること。下がると肘を壊してしまうから。私は人から「いい投手をよくつくる」と聞かれたら「いや、つくりはせん。壊さんだけ」と答えていた。いい選手をもっと良くしようと思って、つついて壊すのが良くない。練習では100球以上は投げさせなかった。浦和学院は左で渡辺君とは全然タイプの違う永島君も、肘が上がって体が前に突っ込まない、いい投げ方をしていた。

 第4試合で勝った高知商にも触れさせていただきたい。初戦に続く2桁得点。昨年あたりから打撃が非常に良くなった。次は凄い試合をした済美との一戦。1試合ずつ力をつけていってほしいし、楽しみにしている。 (元高知商監督)

 ◆谷脇 一夫(たにわき・かずお)1944年(昭19)4月15日生まれ、高知県いの町出身の74歳。高知商2年時の61年夏に甲子園出場、捕手で高橋善正(元巨人)とバッテリーを組む。鐘淵化学で都市対抗6度出場。75年秋に高知商監督となり、甲子園初出場の78年夏に準優勝。80年春に全国制覇。93年夏の出場を最後に勇退し、甲子園25勝13敗。03年から4年間、北見柏陽(北海道)でコーチ、監督を務めた。

続きを表示

2018年8月13日のニュース