元巨人の十川 医療系出版社で求められたノルマは「10打数10安打」

[ 2015年5月28日 10:00 ]

巨人時代の十川雄二

 巨人を5年で解雇された十川雄二。知人のツテを頼って出版社に就職することになったのだが、ここではある人物の「野望」が渦巻いていた。奇妙な「第二の人生」を歩む元プロ野球選手を追う短期集中連載第2回。(敬称略)

 埼玉・大宮駅から西へ向かうと、荒川にぶつかる手前に野球場が52面も連なる広大な河川敷「大宮けんぽグラウンド」がある。多くの勤め人が草野球に興じる敷地の一角で、ある老人の怒号が響き渡った。

 「何やっとるんじゃっ!」

 空振りをしたバッターを激しく叱責したその老人は、出版社チーム「日本医療企画」の監督だった。このチームが特殊なのは、監督・林諄氏が草野球とは思えないほど異常に勝負に入れ込んでいるということ。そして、この林氏が会社の創業者であり、現役の社長であるということだ。

 元・プロ野球選手である新入社員・十川雄二は、自分が完全に「野球」で採用されたということをひしひしと実感していた。ある試合で凡退してベンチに帰ると、激怒した監督からこんなことを言われたこともある。

 「十川くんは10打席あったら10安打しなきゃダメでしょう。なんで打てないのか、ワシにはわからん!」

 林監督に野球経験はない。ただし、猛烈な巨人ファンであり、長嶋茂雄ファンだった。長嶋が巨人の監督を務めていた頃には「長嶋愛」が強すぎるあまり、愛ゆえの苦言を呈すべく『天才に監督は務まらない』という書籍まで出版している。版元は日本医療企画の関連会社だ。

 「長嶋は天才だから監督は務まらんが、ワシはできる」と思ったのかどうか定かではないが、会社に野球チームを作り、自ら監督に就任した。出版社や取次など、出版業界のチームが大宮けんぽグラウンドに集ってトーナメントを戦う「出版健保野球大会」で優勝するのは当たり前。さらに様々な業種の健保大会で優勝したチーム同士が覇権を争う「東京総合健保野球大会」での優勝を目標に掲げ、社員たちにハッパをかけていた。「草野球だと甘く考えていた」という十川は、完全に面食らった。

 「毎週土曜は練習で、日曜は試合。休日を家族で過ごすことはなかなかできなかったですね(笑)。毎年夏には伊東(静岡)で2泊3日の合宿があります。え、『地獄の伊東キャンプ』からヒントを得たんじゃないかって? いや、それはたぶんないと思いますよ。伊東に社長の別荘があるから、理由はそれだけだと思います」

 伊東合宿では朝の9時から夕方の4時まで本格的に練習する。そして夕飯では、監督によるミーティングが始まるのだが、これがとにかく長かった。

 「だいたい6時間くらいでしたね…。もちろん野球に関する話が中心なんですけど、野球に絡めて仕事のことや、人生哲学について語ることも多かったです。『スポーツができるやつは、仕事もできる!』という感じで。正直、仕事は野球部以外の社員のほうができていたんですけどね(笑)」

 プロでの硬式野球から草野球での軟式野球に変わり、投げるにしても打つにしても勝手の違いを感じながらも、十川は林監督の期待に応えるべく奮闘した。さすがに10割は無理にしても、最低でも4割は打っていたという。そして2008年、結実の時を迎える。日本医療企画は念願だった東京総合健保大会で優勝。決勝戦で勝利を決めたのは、十川のサヨナラヒットだった。

 林監督はもちろん号泣。そして「優勝旅行だ!」と、なんと野球部員全員をハワイに連れて行った。気分は日本シリーズを制した巨人の監督と同じだったに違いない。

 「本当に野球が好きで、好きで…。まあ野球に関しては『えっ』と思うことも多かったんですけど、やっぱり『社長を喜ばせたい』と思いながらプレーしていました。仕事ではパソコンの電源の付け方も知らないような僕を拾ってくれて、社会の厳しさを教えてくれました。本当に素晴らしい社長だと思いますし、感謝しています」

 2014年、日本医療企画は東京健保総合大会で6年ぶり2度目の優勝を飾る。またもやハワイへ優勝旅行に向かう一行のなかに、十川の姿はなかった。日本医療企画を円満退社し、新たな夢に向かっていたのだ。

 ◆文=菊地選手(きくちせんしゅ) 1982年生まれ、東京都出身。野球専門誌『野球太郎』編集部員を経て、フリーの編集兼ライターに。プレーヤー視点からの取材をモットーとする。著書に『野球部あるある』シリーズがある。

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