第13回 手術に向かう間に決めた“ひじつけ感謝”

[ 2008年8月14日 06:00 ]

97年4月6日、対ヤクルト戦、661日ぶりの復帰登板でプレート板に右ひじをつける桑田

 僕の野球人生は、何度も野球の神様に導かれていると思う。神様に、再びチャンスをいただいた97年。661日ぶりにマウンドに帰ってこられた。あの感動は生涯忘れることはないだろう。

 97年4月6日ヤクルト戦(東京ドーム)。先発した桑田は初回、マウンドに上がると手術した右ひじをプレート板につける“儀式”を行った。
 何より大変だったのはリハビリの長さ。あの手術を受けた選手は、日本ではほとんどの人が復活できずに終わっていた。当日、ベッドに寝かされて手術室に向かう間、恐怖と不安で涙が止まらなかった。廊下の天井を見ながらもし、もう一度マウンドに登ることができたら、プレートにひじをつけて感謝の気持ちを伝えよう。そう決心した。
 桑田は6回2安打無失点で勝利投手に。3回にはFAで西武から移籍してきた清原が“援護弾”の1号ソロを放った。
 僕が復帰した試合でキヨがホームラン。あんなことはやろうと思ってもできないと思う。「ナイスバッティング、キヨ」「お前の復活の日やからな」。ニコッと笑ってそう言ってくれた。キヨにとっても巨人移籍後の第1号。それが僕の復帰戦。何か縁があるんだな、と今でもそう思うよ。
 この年桑田は10勝。翌98年には16勝を挙げたが、その後成績は下降線をたどる。
 やっぱり思うようにボールが投げられない。若い時はボールに力があって、コースに決まればもちろん、多少甘くても打たれない。それが手術後、コーナーに決まっても打たれるようになった。配球の重要性。それを再認識した時に、PL学園時代からの経験があらためて生きたんだ。
 例えば打席でのしぐさ1つ、見送り方1つでも、外角狙いだな、変化球待ちだな、と。そういう見方はキヨがいたからできるようになった。PL学園で、力では到底かなわない打者だった彼の姿をずっと見ていた。打ち取る方法を必死に考え、研究した。それに僕は、背が高くてボールに角度があるわけじゃない。威圧感のない静かなフォームで、きれいな真っすぐ、カーブを投げる。逆に言えば一番、打ちやすいタイプの投手かもしれない。それでもここまで来たのは、探求心があり、ちょっとした工夫ができたからだと思う。
 手術後、完全復活したと思っていた。でも野球はそんなに甘くなかったね。勝ち星が激減して…。「引退」の2文字が、僕自身にも周囲から聞こえるようになった。<紙面掲載 2008年4月28日>

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2008年8月14日のニュース