来日外国人選手の悲しい結末あれこれ

[ 2008年5月28日 10:01 ]

 07年の1年間、巨人に在籍していた「GG」こと、ジエレミー・ゴンザレス投手が母国ベネズエラで落雷に遭って不慮の死をとげた、という一報が伝わってきた。ゴンザレス投手のように日本球界に在籍した後、悲しい人生の結末を迎えた外国人選手は少なくない。

 日本ハムで80年代に活躍、本塁打王のタイトルも獲得したトニー・ソレイタ内野手は、90年2月10日、故郷サモアで土地取引をめぐるトラブルに巻き込まれ射殺された。引退後は公務員となり公園・レクリエーション局長を務め、休止状態にあったサモアのリトルリーグを復活させるなど、第2の人生も順調だったが、話の行き違いから不幸なことになった。まだ43歳だった。
 交通事故で亡くなったのは戦前は巨人、戦後は恩師の藤本定義監督が率いるチームなどを転々とした、ビクトル・スタルヒン投手。56年(昭31)1月12日、友人のボーリング場開場パーティーに出席した後、母校の同窓会に顔を出すため時速80キロ以上のスピードで愛車のシボレを走らせていた。しかし、東急玉川線の三宿駅付近で電車に追突。病院に運ばれたが、命を取りとめることはできず、40歳でこの世を去った。
 米国で交通事故に巻き込まれ死亡したのは、76年から阪神に5年間所属したマイク・ラインバック外野手。球宴にも2度出場した人気選手で、引退後は一時阪神ファンの実業家の下で京呉服のロサンゼルス店総支配人を務めていたこともあった。その後、退職し靴のセールスなどをしていた中での死だった。本人は生前「野球にかかわる仕事がしたい」と話していたという。
 時代の波に運命を翻弄されたのは、戦前の39年(昭14)巨人に在籍したフィリピン出身のリベラ外野手。巨人がフィリピンで親善試合をした際にマニラ税関の4番だった同選手をスカウト。1年だけだったが、当時の飛ばないボールで6本塁打42打点と活躍した。太平洋戦争末期の45年2月、フィリピン戦線で追い詰められた日本軍は米軍に協力的と一方的に判断した現地人をことごとく虐殺。リベラも日本語を少し分かることがスパイ扱いされ、日本兵によって命を奪われた。
 退団後は消息の分からなくなることも多い外国人選手。若くして思わぬことで生涯を閉じたというニュースはこれ以上接したくないものだ。

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