能登半島地震で被災の日本航空石川 涙の4年ぶり選抜切符 宝田主将「被災地の方に勇気と感動を」

[ 2024年1月26日 15:54 ]

<日本航空石川>センバツ出場が決まり涙を流す選手たちも(撮影・篠原岳夫)
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 能登半島地震で学校が甚大な被害を受けた日本航空石川ナインは、集団で避難生活を送る山梨県内の系列校のキャンパスで4年ぶり3度目の選抜出場の知らせを受けた。

 出場の一報を聞き、涙を流すナインの姿もあった。宝田一慧主将(2年)は前日25日に「選ばれたら被災地の方に勇気と感動を与えたい」と誓っていた。

 一度は夢をあきらめた。昨秋の北信越大会は4強で、同地区の一般選考枠は「2」。しかし、星稜(石川)が明治神宮大会を優勝したことで1枠が増えた。中村隆監督は「もしかしたら(選抜出場が)あるかもしれないという気持ちになって、もう一回、エンジンをかけ直して年末の練習をやってきました」と振り返る。そこへ襲ってきた元日の大地震。地元の神戸市で状況を知った中村監督は、すぐに選手の安否確認に追われた。67人全員の無事が確認できたのは一夜明けた2日の夕方。小学校4年生の時に阪神淡路大震災を経験している指揮官にとって、野球どころではないという感覚になったのも無理はなかった。

 山梨県の系列校で受け入れが決まり、1月19日には富士川町の旧増穂商グラウンドを拠点として26人で全体練習を再開。この日までにマネジャー1人を含む32人が集まった。選手31人は系列校の2教室に段ボールのベッドを並べて集団生活を送る。中村監督は少しでもプライバシーのある生活を送ってほしいという配慮からベッドとベッドの間に仕切りを作っていたが、ほとんどの選手がそれを外していったという。「せっかくつくったのに、と思いながらね(苦笑い)。普段から寮生活をやっているので、抵抗はあんまりないと思います。お風呂にみんなで入って裸の付き合いをしているので、それは助かっている」。宝田主将も「ストレスは感じていません。今までとは違う楽しさがあって、修学旅行や合宿みたいな感じです。石川にいたときよりも寝やすくて快適です」と集団生活の苦労を感じさせなかった。

 食事や住環境が安定した現在も、輪島市への望郷の思いが消えることはない。福井県越前市出身の宝田主将は「一緒に練習して、住んでいた場所があんなことになってしまって、悲しくて悔しい」と目を伏せる。チームは石川県外の出身者も多いため、輪島市内の祖母宅で被災した福森誠也(2年)の体験をミーティングで話してもらった。強烈な揺れで気づいたら尻もちをついていたこと。靴を履く余裕もないまま骨折した祖母を背負って高台へ走ったこと。津波の恐怖におびえながら寒空の下で眠れない一夜を過ごしたこと――。今も避難所で生活する人たちの状況を思いやり、輪島市でボランティア受け入れが可能になった場合は、チームとしてすぐに駆けつけるつもりだ。

 中村監督は言う。「われわれにできることは、野球を思い切りやること。テレビ越しに映っていると思うので、明るく元気に一生懸命にプレーする先に、何かを感じていただければ」。故郷への思いと感謝を胸に、ナインは甲子園に向けて準備を続ける。

 ▼日本航空石川・中村隆監督 今日はたくさんの仲間がここに来てくれて、この空間を味わえてうれしいです。(涙を流して)元日からこんなことになるとは思っていなかったんですけど、みんなの思いを乗せて頑張ってきたいと思います。今日は本当にありがとうございます。

 ▼宝田一慧主将(2年) 自分たちが高校野球を初めて、目標だった甲子園の舞台で戦えることに感謝の思いを持って、この喜びを味わって全員で一つになって頑張っていこうと思います。本日はありがとうございました。

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