【内田雅也の追球】新庄と阪神の「橋」 人と人のつながりを大切にしていた八木コーチ招へい

[ 2023年2月4日 08:00 ]

アルカンタラ(左)にアドバイスを送る日本ハム・八木コーチ(撮影・高橋 茂夫)
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 沖縄・名護の日本ハムキャンプを訪ねた。1年ぶりである。昨年2月11日、阪神との練習試合で訪れると、監督・新庄剛志が監督室に招いてくれた。「まさか監督として会えるとは」と再会を喜び合った。

 実はこの時、日本ハムも阪神もOBの柏原純一が一緒だった。新庄が阪神時代の打撃コーチで師匠と慕う存在である。新庄から「いま、代打の極意を教えてくれる人を探しているんです」と相談された。阪神には「代打の神様」と呼ばれた存在が何人かいる。「でも真弓さん(明信)は無理でしょ。やっぱり八木さん(裕)だと思うんですよ。若い選手たちに八木さんの1打席にかける集中力を伝えてもらいたい」

 新庄は当時から腹案として八木打撃コーチを抱いていたわけだ。監督1年目を終えた昨年11月、本当に八木を打撃コーチで招へいしたのだ。

 人と人のつながりを思う。新庄の阪神入団から大リーグ挑戦まで、ほとんど現場でみてきた。意外かもしれないが、彼は自分を義理人情に厚い、「親分肌」だと自称していた。BIGBOSSになる人間性はあった。

 そして実際、青春時代を過ごした阪神での人とのつながりを大切にしていたのだ。「尊敬していた」という八木をコーチとして招いたわけだ。

 大リーグでもフロントマンの間で「橋を燃やすな」といった言い方をする。一度架けた橋(人間関係)を燃やして断つなといった意味だ。

 この表現を教えてくれたのはニューヨーク育ちの元阪神球団職員、本多達也である。大リーグ・エンゼルスで国際部長も務めた。「アメリカは個人主義と言うが、人のつながりは大切にする」。当時、エンゼルスGMのビル・バベシの駆け出し当時からの交流が生きていると聞いた。

 日本でも同じだ。藤沢周平に短編集『橋ものがたり』(実業之日本社)がある。『小ぬか雨』で橋を渡れなかった悲恋がある。『氷雨降る』では息子が父が築いた問屋との取引を切ってしまう。あとがきで<人と人が出会う橋、反対に人と人が別れる橋>という着想だったと書いている。

 この日、八木は昼食時にわざわざ応対し、やりがいを語ってくれた。阪神はキャンプ休日で、球団編成部の坂孝一、宮脇則昭、畑山俊二も視察に訪れていた。新庄は手を振り、監督室でもてなした。阪神との「橋」は健在だった。=敬称略=(編集委員)

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2023年2月4日のニュース