御嶽海 3度目優勝で大関昇進確実!「長かった」29歳悲願、信州出身は伝説の雷電以来227年ぶり

[ 2022年1月24日 05:30 ]

大相撲初場所千秋楽 ( 2022年1月23日    両国国技館 )

優勝した御嶽海(右)はオープンカーに乗って笑顔を見せる。旗手・碧山
Photo By 代表撮影

 単独トップで迎えた関脇・御嶽海が結びで横綱・照ノ富士を寄り切りで破り、13勝2敗で19年秋場所以来となる3度目の優勝を果たした。直近3場所の成績が33勝に到達。昇進を預かる審判部は八角理事長(元横綱・北勝海)に臨時理事会の開催を要請した。期待の大関候補がコロナ下で素質を開花。26日にも長野県出身では伝説の最強力士、雷電為右衛門以来、227年ぶりに新大関が誕生する。

 夢が現実のものとなった瞬間、万感の思いがこみ上げてきた。優勝インタビュー。26日に大関昇進を決める臨時理事会の招集が決まったことを知らされると、御嶽海は言葉を詰まらせた。沈黙の後に「そういう経験はできることじゃない。素直にうれしいです」。そして「長かったです」とホッとしたように息をついた。コロナ下で優勝パレードは自粛中だが、今回は車に乗り込んで記念撮影に納まった。

 1差で迎えた照ノ富士との決戦。地元から車で駆けつけた母マルガリータさんが見守る前で大きな1勝をもぎ取った。立ち合いで圧力をかけながら左のおっつけで横綱を横向きにさせる。すかさず右、左を深く差し込み一気に出た。7連敗中だった壁をぶち破り「正面からしっかり当たって、動いて、動ききれば自分が勝てると思った」と言葉を弾ませた。

 東洋大時代に15冠を獲得し、鳴り物入りで角界入り。スピード出世で駆け上がった逸材も、大関の道は遠かった。昇進までに要した三役在位は28。何度も昇進のチャンスがありながら、ここ一番での取りこぼしなどが目立った。19年秋場所で2度目の優勝。大関がぐっと近づいた翌九州場所、3日目の明生戦で右目上を切り血が止まらなくなった。頭から思い切り当たれないなど精彩を欠き6勝9敗。3年ぶりに平幕に陥落した。さらに全世界を襲ったコロナ禍が追い打ちをかけた。

 相手に合わせる対応力を得意とする。ライバルの特徴を体感できる出稽古ができないのは大きなハンデだったが、逆境をチャンスに変えた。中学時代の相撲部顧問だった安藤均さん(63)は「自分から攻めて前に出ることを徹底しないと通用しなくなると改めて思ったと思います」と話す。原点回帰で成績も好転し昨年九州場所では11勝。その勢いで自身初の2場所連続2桁勝利につなげた。

 長野県出身では1795年(寛政7)に昇進した雷電為右衛門以来、227年ぶりの新大関誕生。「地元を勇気づけたい」と公言する29歳は「皆さん、注目してください」と短い言葉に新大関場所への決意を凝縮させた。

 【御嶽海 久司(みたけうみ・ひさし)】
 ☆生まれ 1992年(平4)12月25日生まれ、長野県上松(あげまつ)町出身の29歳。
 ☆本名 本名・大道久司。
 ☆サイズ 1メートル80、174キロ。
 ☆相撲歴 小学1年から地元の相撲クラブで始める。小、中と全国レベルで活躍し、木曽青峰高では3年時に高校総体8強。東洋大4年時にアマ横綱と学生横綱になり幕下10枚目格付け出し資格獲得。出羽海親方から名門復活への思いを聞かされて、和歌山県庁の内定を辞退して入門。
 ☆しこ名 地元の御嶽山と、出羽海部屋の「海」から。「長野に海はないので、自分が海になろうという気持ちも」
 ☆初土俵 15年春場所。同年名古屋は新十両で優勝。同年九州で新入幕。優勝3回。金星2回。殊勲6回、敢闘1回、技能3回。
 ☆得意 突き、押し。
 ☆趣味 ビリヤード、ボウリング。
 ☆苦手 美術。小学生のときに先生に「こんな下手な絵初めて見た、と言われた」。
 ☆家族 父・春男さん、母・マルガリータさん。

 【大関昇進アラカルト】
 ▽年長 29歳1カ月での大関昇進は、年6場所制となった1958年以降に初土俵を踏んだ力士では6番目の年長。
 ▽三役通過 昇進までの三役所要場所「28」は史上4位。最多は魁皇の「32」。
 ▽長野県出身 江戸時代の寛政~文化に活躍し1795年に昇進した伝説の「最強力士」雷電為右衛門以来。
 ▽出羽海部屋 75年九州場所後に昇進した三重ノ海(新大関場所は76年初場所)以来。
 ▽平成生まれ 照ノ富士、高安、貴景勝、朝乃山、正代に続いて6人目。
 ▽学生相撲出身 豊山(東農大)、輪島(日大)、朝潮(近大)、武双山(専大)、出島(中大)、雅山(明大)、琴光喜(日大)、朝乃山(近大)、正代(東農大)に続いて10人目。東洋大からは初。

 ◇雷電 為右衛門(らいでん・ためえもん)1767年(明和4)1月、現在の長野県東御(とうみ)市出身。幕内在位は36場所で当時最高位の大関を27場所務め、優勝相当成績は28回。史上最強力士と言われる。1790年(寛政2)11月場所が実質的な初土俵で優勝相当の成績を挙げ、事実上最後の土俵となった1810年(文化7)10月場所まで現役約20年で254勝10敗2分け、14預かり5無勝負。生涯本場所勝率.962は歴代最高とされ、あまりに強かったため張り手などが禁じられたと伝えられている。

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