帝京大“低迷”脱出V 原点となった敗戦 ラグビー全国大学選手権

[ 2022年1月9日 15:19 ]

ラグビー全国大学選手権決勝   帝京大27―14明大 ( 2022年1月9日    東京・国立競技場 )

<帝京大・明大>前半30分、スクラムでコラプシングの反則を勝ち取り帝京大・細木(右端)はガッツポーズで絶叫(撮影・篠原岳夫)
Photo By スポニチ

 2009~2017年度に不滅の9連覇を達成した帝京大が、明大を27―14で下し、4大会ぶり10度目の優勝を果たした。あまたの日本代表選手を送り出してきたかつての大学最強軍団が、「復活」の時を迎えた。

 低迷。9連覇という不滅の金字塔を打ち立てた後の3シーズン、帝京大は大学選手権では4強2回が最高成績だった。もちろんその終着点は目指した場所ではない。ただ、外野でささやかれる言葉が耳に入ると、岩出雅之監督(63)はもどかしい気持ちになった。4大会ぶりの決勝進出を決めた準決勝後、記者会見で「3大会のうち2度は4強なのに低迷とか言われる。連覇は自分たちのハードルを上げてしまった。光栄なことなのだが」と“反論”してみせた。しかし心の内は、どうだったか。

 「9年間、確立した勝ち方を変えるのは難しかった。フルモデルチェンジではないが、全部を変えた」

 19年1月2日の準決勝で敗退。岩出監督はいい機会ととらえ、あらゆる面の改革に着手したという。9連覇中、結果という「表」には出なかったさまざまな問題点や手つかずの課題が「裏」にはあった。ラグビースタイルという根本の部分から、それを実現するための練習やトレーニング方法、チームやリーダーシップの体制、果ては寮生活のルールまで。時代と共に変わるラグビーと学生たちの気質に合わせて変革し、また強いチームをつくる。しかし気持ちを新たにしていた指揮官の思いとは裏腹に、モラトリアム世代の選手たちの心は連覇が途切れたことで揺らぎ、強固だった学生最強チームは静かに崩れていった。

 象徴的なのが、V逸初年度が1年だった現主将のプロップ細木康太郎(4年)その人だろう。神奈川・桐蔭学園高から、伝統校の誘いを断って帝京大に入学。「学生のうちからプロップで日本代表キャップを取っている選手がいるのが帝京大だった」と自身のラグビーキャリアを見据えて意気軒昂に門を叩いたが、その年に連覇が途絶えた。

 「こんなはずじゃなかった。(4年で)13連覇を狙う予定だった。明治に行けば良かったと思った」。ふてくされた思いは、練習態度にも表れた。岩出監督に何度注意を受けても、2、3週間経つと忘れ、再び練習に身が入らなくなる。大志を抱いて入学した世代のトップランナーだった細木ですら、そんな状態。同様の選手が数人いれば、覇権奪回はおろか、チームはまとまるはずもなかった。

 岩出監督にも「あれは僕のミス」と振り返る、忘れられない試合がある。19年度の大学選手権3回戦で、流通経大に逆転負けを喫し、年越しをできずにシーズンが終わった。過渡期のまっただ中。試合直前1週間の練習メニューが結果的に選手の疲労を生み、試合では時計が進むに連れてパフォーマンスが落ちた。常に進化を求め、学び続ける指揮官にとって、自分自身を見つめ直すきっかけになった。

 今年、将はチームへの「介入を少なくした」という。「連覇中の主将も素晴らしかったが、(それと比べても)細木のキャプテンシーはチームをたくましてくれる」というリーダーに舵取りの多くを任せた。岩出監督は「子育て四訓」を呼ばれる言葉を大切にしている。

 「乳児は肌を離すな。幼児は肌を離しても手を離すな。少年は手を離しても目を離すな。青年は目を離しても心を離すな」

 最終学年になるまで、「ろくでもない人間だった」と振り返る細木が、希代の主将にまで育ち、大学日本一へとチームを先頭で引っ張るまでに成長したのも、岩出監督が決して「心」を離さなかったから。石の上にも3年。我慢に我慢を重ね、時に失敗もして、それでも諦めず、帝京大は晴れて“低迷”を脱した。

続きを表示

2022年1月9日のニュース