パラ陸上・佐藤友祈が男子1500メートルで金メダルも「悔しい」 400メートルとの2冠 上与那原は銅

[ 2021年8月29日 20:50 ]

東京パラリンピック第6日・陸上 ( 2021年8月29日    国立競技場 )

<パラリンピック 陸上>男子1500m(T52)、2冠を達成し、ガッツポーズする佐藤(撮影・木村 揚輔)
Photo By スポニチ

 陸上男子1500メートル(車いすT52)決勝が29日、行われ、前回16年リオデジャネイロ大会銀メダルの佐藤友祈(31=モリサワ)が、3分29秒13のパラリンピック新記録で、400メートルに続く今大会2個目の金メダルを獲得した。パラ陸上日本勢が2冠を達成するのは、08年北京大会での伊藤智也以来、3大会ぶりとなった。2位は3分29秒72のレイモンド・マーティン(27=米国)で、上与那原寛和(50=SMBC日興証券)が3分44秒17で銅メダルを獲得した。

 400メートル同様、マーティンとの一騎打ち。ライバルが佐藤の後ろにつくことを選んだことに冷静に対応した。記録よりも勝負に徹し、最後の1周でペースを上げ、マーティンの追撃を許さなかった。それでも佐藤は「いやー、悔しいです。自分が公言して、目標としてきた、世界記録の更新と金メダル獲得というものを、この新国立の舞台で達成できなかったことが、まず非常に悔しい」と率直な思いを口にした。その上で「この5年という長い期間で、マーティン選手であることか、国内の選手も含めて、パフォーマンスを落とさずに、ゴール直前まで競り合って、勝ち取った金メダルは非常に価値あることだと思います」と語った。
 
 何度も口にしてきた「2種目での金メダル獲得を必ず達成する」。「達成したい」とは一度も言わず、「達成する」と言い切ってきた。公言することで、もちろん重圧もあった。でも、それが幸せでもあった。「このプレッシャーを今感じることができているのは、僕だけだろうな」。力に、楽しみに、変えてきた。

 21歳だった2010年、原因不明の脊髄炎を発症し車いす生活となった。現在も左上肢は肩から手先にかけて麻痺が残っている。震えもある。それでも、「そんなに不便には感じていない。できないことは多いけど、どうやったらできるかを常に考えて行動している」。この考え方で、競技力向上のために道具やファームも試行錯誤してきた。

 父親と妹が全国大会出場経験を持つレスリング一家に育った。小学時代はレスリングに打ち込んだが、全国には届かずに断念。中学では陸上部へ入部したが「部内で最下位を争うレベルの選手だった」。進学した工業高校では正反対の囲碁部でアマ四段になるまでのめり込んだ。相手の裏を読むことが楽しかった。レース展開を読む力は、今に生きる。

 これで、佐藤の夢舞台は幕を閉じたが、新たな始まりでもある。「(24年)パリ、(28年)ロサンゼルス、(32年)ブリスベン。その3大会は同じように出場して、金メダルを獲って、世界記録を更新する。他の競技にもチャレンジしたい」。31歳の野望は、まだまだ尽きない。

 ◇佐藤 友祈(さとう・ともき)1989年(平元)9月8日生まれ、静岡県出身の31歳。21歳の時に脊髄の病気を患い、両足と左手が動かなくなり車いす生活に。初出場した16年リオ大会は1500メートル、5000メートルで銀メダル。18年に両種目で世界記録を樹立し、21年にプロ転向した。特技はプーさんの声まね。妻が作るみそ汁(厚揚げ、ホウレンソウ、しらす)が好物。

続きを表示

この記事のフォト

2021年8月29日のニュース