山中 天国の平尾さんに勝利届ける 20日南ア戦命日「感謝の気持ちでやりたい」

[ 2019年10月17日 05:30 ]

ラグビーW杯準々決勝   日本―南アフリカ ( 2019年10月20日    味スタ )

平尾誠二さんとの思い出を語る山中(撮影・吉田 剛)
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 ラグビー日本代表が16日、都内で練習し、FB山中亮平(31=神戸製鋼)と長谷川慎スクラムコーチ(47)らが会見に出席した。準々決勝の南アフリカ戦(東京・味の素スタジアム)は、16年10月20日に胆管細胞がんで亡くなった元日本代表監督、平尾誠二さん(享年53)の命日。恩義を感じる2人が決意を口にした。 今の代表で、FB山中が故平尾さんと最もつながりがある。ラグビー人生最大の窮地を救ってもらった。南アフリカとの準々決勝は恩人の命日。思いを口にした。

 「僕にとっても、凄い日に試合がある。大事な試合と思う」

 神戸製鋼入社直後の11年4月。ドーピング検査で陽性反応が出た。ヒゲ育毛剤が原因だった。2年間の資格停止処分を受け、ラグビー部を退部。プロ契約のため、常識的にはチームを離れなければいけなかったが、当時GM兼総監督だった平尾さんの計らいで、総務部の社員として会社に残してもらった。復帰への道筋を作ってくれた。

 「ラグビーを続けるにあたって、平尾さんがいなければ、今の僕はない。感謝の気持ちでやりたい」

 決意を向けた先は、南アフリカのバックス陣。9月の対戦ではキック戦術に苦しめられた。「あのときは客席で見ていた。自信を持って対応したい」。この日の練習では、攻守で攻略のための戦術を確認した。ここまで全4試合に出場。突破力、キック力、タックルで勝利に貢献してきた。「平尾さんは思いきって楽しめと言ってくれるはず」。出番への意欲は人一倍強い。

 亡くなって3年がたっても、ミスターラグビーの輝きが色あせることははない。神戸製鋼の司令塔としてV7に導き、代表でW杯に3度出場。監督として99年W杯を戦った。W杯招致実行委員会として、自国開催に尽力。史上初の8強入りに導いたジェイミー・ジョセフヘッドコーチを人選したのも、平尾さんの仕事だった。

 故人とともに現在の代表の組閣に携わった日本協会の土田雅人理事(56)は「平尾と何十時間もかけて議論してジェイミーを選んだ。平尾が生きていたら喜ぶと思う」と、しみじみと語った。
 ジョセフ・ジャパンの船出、16年11月のアルゼンチン戦は、袖に喪章代わりの「12」の文字を付けて戦った。次はジャパンにとって特別な1日。勝利を報告する。

 《日本協会広報 藪木部長「運命」》代表に同行する日本協会広報・プロモーション部の藪木部長は、平尾さんの命日の試合に「神のおぼしめしですよね」と、神妙に語った。神戸製鋼の現役時代、主将だった平尾さんの発案でSHからSOに転じ、V7の一端を担った。会社の広報部次長だった16年2月、闘病中の平尾さんに背中を押されて現職に就いた。「この盛り上がりをつなげないと“おまえら何しとんねん”って言われますよ」。大会後こそ大事だと肝に銘じている。

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