司令塔SO田村を生んだ2人の父 手塩にかけて育てた抜群のセンス

[ 2019年5月14日 09:00 ]

ラグビーW杯日本大会9・20開幕

日本の司令塔を担う田村
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 【W杯への鼓動】類いまれなセンスで日本の司令塔を担うSO田村優(30)には“2人の父”がいる。1人は実父でトヨタ自動車、豊田自動織機の監督を歴任した誠氏(57)。もう1人が誠氏と東京・国学院久我山高のラグビー部同期で、田村の母校・国学院栃木高の監督を務める吉岡肇氏(57)だ。高3で花園準優勝するなど、3年間苦楽を共にした盟友は、いかにして孝行息子を育てたか。2人が当時を振り返った。(取材、構成・倉世古洋平、阿部 令)

 幼少期からサッカーをしていた田村は、父からは一切、ラグビーの誘いも手ほどきも受けていない。ところが中3の12月末になって突然、「高校でラグビーをする」と言い出した息子に対し、誠氏は国学院栃木を勧めた。

 当初、田村は「久我山でやりたい」と言ったという。大都会にあり、花園優勝5回の伝統校。だが同校は親元から通うことが原則。そうした背景もあり栃木行きが決まったが、恩師はその選択は正しかったと回想する。

 吉岡氏「久我山は中学部があって、全国優勝したようなメンバーが20人、ごっそり入ってくる。初心者で、よそ者の田村が入っても、正直、気性的に持たなかったと思う」

 誠氏も吉岡氏も、高校時代はやんちゃな性格で気が合った。今でこそ静謐(せいひつ)さを漂わせる田村も、そのDNAを継ぐ。厳しい親元から解放された高1の時、一つの事件を起こす。

 ある授業中、立たされることになった。教室の角には大きなスクリーンがあり、そこには死角があった。教師がにおいに気づいてのぞくと、立たされていたはずの15歳が悪びれることなく、弁当を食べていた。当然のごとく職員会議で報告され、吉岡氏も「頭にきたというより笑ったね」。だから笑い話として誠氏に報告したが、親としては当然、黙っていられなかった。

 誠氏「先生は笑ってましたけど、それを聞いて5時間かけて栃木に行って叱りました」

 仕事を終えて愛知から車を400キロ以上飛ばし、滞在時間はわずか1、2分。吉岡氏の自宅続きで建てられた寮の一室は翌朝、台風が過ぎ去った後のように、誠氏が投げ飛ばしたブラウン管テレビやビデオデッキが床に転がっていたという。だが、その後も田村のやんちゃさは不変だった。しかし外的要因に左右されない気の強さ、同級生にサインを送って弁当を運ばせた人望は、ラグビーでも存分に生きている。


 もう一つの親の遺伝に、走る姿勢がある。「妻の顔にそっくり」(誠氏)という田村だが、骨格は父譲り。「だから蹴るも走るも似ている。前傾ではなく、ちょっと上体を起こして走る。抜かれた方にとっては、あざ笑われたかのようなね。余裕がある、一生懸命やっていないように見える。対戦相手はむかつくよね(笑い)」(吉岡氏)。加えてサッカーでは名古屋ユースからの勧誘があったほどの逸材。簡単に相手を抜けるからこそ、ラグビーでは弊害も大きかった。

 吉岡氏「かわす能力があるから、次々にかわして袋小路に入る。抜いてもパスする相手がいない。自分が、じゃなくてもいいだろうと。そこを理解するまでは時間がかかった」

 現在の田村の持ち味は、抜群のパスとキックのセンス。時折見せるボールキャリーでもスルスルと抜ける能力がありながら、周りを生かすことを最優先する。その土台が高校3年間にあったわけだ。

 「いきなりコイツはモノが違う、やがて全日本、と思ったことがない。ちょっとずつだよ」(吉岡氏)。決して特別扱いされず、しかし手塩にかけられ、本人の努力もまた絶大。その原動力は何か。

 吉岡氏「春に校内球技大会がある。1年男子はサッカー。大活躍して、サッカー部の特待生が田村のボールに触れない。ところが決勝は1点取ったけど、2、3点取られて負けた。そうしたら過呼吸になるほど涙、鼻水を流して大暴れですよ」

 根っからの負けず嫌い。ひょうひょうとした振る舞いに秘める闘争心が全ての原点だ。

 誠氏「(命名理由は)優しい子、というのと、現役だったので優勝する場に立てたら」

 今でも栃木を訪れれば、高校の後輩たちを熱心に指導する。帰属意識の強さは人一倍。4カ月後には日本のため、獅子奮迅の活躍を見せるはずだ。 

 ◆田村 優(たむら・ゆう)1989年(平元)1月9日生まれ、愛知県岡崎市出身の30歳。国学院栃木高からラグビーを始め、明大、NECを経て17年からキヤノン。12年4月のカザフスタン戦で代表デビューし、通算54キャップ。15年W杯代表で16年からサンウルブズでもプレー。1メートル81、92キロ。ポジションはSO、CTB。弟の煕(ひかる)はサントリー所属。

 ◆田村 誠(たむら・まこと)1961年(昭36)10月30日生まれ、東京都出身の57歳。国学院久我山高―帝京大を経てトヨタ自動車でプレーし、94年に現役引退。98~00年にトヨタ自動車監督を務め、08~15年に豊田自動織機総監督。サンウルブズでも初代GMを務めた。現役時代はSO。

 ◆吉岡 肇(よしおか・はじめ)1961年(昭36)9月25日生まれ、東京都出身の57歳。国学院久我山高―日体大。88年の国学院栃木高ラグビー部創設から監督に就任。6年目の93年度に花園初出場に導き、同校は19年連続24回出場中。最高成績は11年度の8強。現役時代はWTB、CTB。

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