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【レジェンズ・アイ】中村俊輔氏 Jリーグ主流の戦い方に危機感 「生粋」の点取り屋育成へ

[ 2022年12月8日 05:15 ]

中村俊輔氏
Photo By スポニチ

 フジテレビSP解説を務める元日本代表MF中村俊輔氏(44)が、W杯の魅力を語るスポニチ本紙の特別企画「レジェンズ・アイ」。第4回は、今大会での森保ジャパンの戦いぶりを踏まえ、日本サッカーの今後の課題などを語った。今季限りで現役を引退した天才レフティーは、日本がさらにレベルアップするために、世界レベルのストライカー育成が必須と分析。Jクラブの海外留学制度の構築など自らのアイデアも口にした。 

 「今大会で日本の武器となった堅守速攻にさらに磨きをかけて、ポゼッションサッカーも進化させる」

 クロアチア戦後、日本サッカーの理想の将来像をこう語った俊輔氏。その実現には、当然ながら、個のさらなるレベルアップは欠かせない。その中でも俊輔氏が特に重要だと指摘したのが、世界レベルの点取り屋の育成だ。

 「W杯とかだと、(1試合で)ビッグチャンスは3、4回しかない。その1、2回を確実にゴールに結びつけるとか、そこは今後の課題だと思う。欧州でもしっかりやれて、(1年で)15点以上決められるFWが出てきたら、また次のステップになるかもしれない」

 例えば、今大会のフランス。3―1で勝利した決勝トーナメント1回戦のポーランド戦では、1―0の後半29分にデンベレ、ジルー、エムバペの3トップが攻め残り、3対3の状況でエムバペが強烈な右足で追加点を決めた。

 今の日本ならそもそも「下がれ、最終ラインまで戻れ」となり、そういった状況自体が生まれない。だが強烈なFWが最前線にいれば、布陣も守備的な3―4―3ではなく「4―3―3で、4バック、3トップでいける」とし、「そうすれば、三笘選手が最終ラインまで下がる必要はないし、60メートルの長い距離をドリブルする必要もない。そうなるぐらい対等に戦えれば、堅守速攻も、戦術の中の流れの中の一コマ、オプションに過ぎないとなる」と指摘した。

 では、世界に通用するストライカー育成には、何が必要か。まず俊輔氏は、Jリーグで主流となっている戦い方に警鐘を鳴らした。

 「ブラジル人がよく言っているんだけど、“そんなにFWを前から追わせたらストライカーの仕事ができなくなるよ”と。今回のW杯は暑いことも影響したかもしれないけど、(日本ほど)前からプレスにいくチームはなかった。日本だけのトレンドになっている。Jリーグと代表で違うことをやるのはいいと思う。ただ勝つことを逆算したとき、その戦い方をJリーグのチームが積極的にやると、もしかしたら生粋のストライカーがどんどん減っていくかもしれない」

 実際、過去4~5年でJ1得点王に輝いた選手の得点数を見れば、減少傾向にあることが分かる。今季は清水のFWチアゴ・サンタナでわずか14点だった。従って戦術、戦い方は、点取り屋を育てる上でも今後の大きなテーマとなりそうだ。

 その中でストライカーに限らず俊輔氏が推奨したのが、若い年代での海外留学。自身も19歳のときに日本代表の岡田武史監督から初招集を受け、オーストラリア合宿に参加。その後の成長のきっかけとなったという。

 「今大会は、逆に道しるべになったと思う。個だけではダメ。そして、個のレベルアップをもっとしないといけない。だからもっと海外に出て行く必要もある。例えばJリーグでやっていても、所属クラブが提携している海外チームに2週間、練習参加させてもらうとか。Jリーグ選抜で、オフ中の1~2週間で2、3試合ぐらい組んでもらったり。若い選手たちは、そういう刺激でぐんぐん伸びる」

 もちろん、こういった建設的な議論ができるのも、日本サッカーが進むべき方向に向かっているからこそ。来年から横浜FCでコーチとして指導者の一歩を踏む俊輔氏も「何が良い悪いじゃなくて、いっぱい道があると思う。日本代表もいっぱい道がある。逆に今大会で日本サッカーの未来が、より明るくなったと思う」と、希望に満ちた表情で締めくくった。

 ◇中村 俊輔(なかむら・しゅんすけ)1978年(昭53)6月24日生まれ、横浜市出身の44歳。97年に桐光学園から横浜M(当時)入り。02年7月にレジーナ(イタリア)移籍。05年7月に移籍したセルティック(スコットランド)で数々のタイトルを獲得。09年6月にエスパニョール(スペイン)に移籍し、10年2月に横浜復帰。17年から磐田でプレーし、19年7月にJ2横浜FCに加入した。00、13年にJ1でMVP。日本代表は98試合24得点。W杯は06、10年に2度出場した。1メートル78、71キロ。利き足は左。

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