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中村俊輔氏が占うスペイン戦「全てデザインされた」パス回し 狙うならFWモラタの“ポスト”

[ 2022年12月1日 05:18 ]

FIFAワールドカップカタール大会1次リーグE組   日本-スペイン ( 2022年12月1日    ハリファ国際競技場 )

中村俊輔氏
Photo By スポニチ

 フジテレビSP解説の元日本代表MF中村俊輔氏(44)が、W杯の魅力を語るスポニチ本紙の特別企画「レジェンズ・アイ」。第2回は、16強入りを懸けて日本と対戦する強敵スペインの強さに迫った。今季限りで現役を引退した希代のファンタジスタは、全てがデザインされた驚愕(きょうがく)のプレーを分析した上で、数少ない弱点も指摘。日本のキーマンにMF三笘を指名するなど、独特の視点で森保ジャパンの大一番を占った。

 「ゲームより凄かった」。1―1ドローも、得意のパスサッカーでドイツを圧倒したスペインを、俊輔氏は驚きの表情でそう語った。布陣はバルセロナの象徴でもある4―3―3。ピッチの幅を広く使い、精密機械のように正確なパスを何本も通し、相手を左右に揺さぶっていく。

 「まずは敵陣サイドの奥にボールを運んで、わざと相手チーム全体を止まらせる。そこから1対1を仕掛けるのではなく、いったん後ろに戻して、それを左右で繰り返す」。するとボールを奪えない相手は徐々に精神的に追い詰められ、「どこかで相手のプレスがかからなくなったときに、急にゴールに迫ってくる」のだという。

 2試合のパス成功数は、出場国最多1568本。成功率は92%だ。強さの秘密に選手が練習中に装着する、走行距離などを計測するGPS機能が搭載されたデジタルブラジャーにあると分析する。ケガ防止策として使用は一般的だがスペインの用途はさらに最先端だ。

 「背中のGPSにスピーカーが付いていて、監督とコーチが工事現場みたいな高台から、“ガビもっと横”、“今のこうやった方がいいかな”などと指示している。紅白戦でも使っていて、あれは凄い。フットサルじゃないけど、(アンカーの)ブスケツとかも、CBからボールが来たらこうプレーするとか、全部決まっている。全てがデザインされたプレー。だからパス回しに迷いがない」

 元々世界トップの技術を誇るスペイン。そこに設計されたプレーが加わったことで、さらに凄みが増しているというわけだ。

 「(左サイドバックの)アルバがワンツーでもらった瞬間、モラタが足元でもらいたいとか、全てが連動している。連動していることで、相手より先に有効なスペースで持てるから、ミスが凄く少ない。だからあんなにパスがつながる」。

 ドイツ戦の後半17分に1トップのモラタが決めた先制点も、まさにデザインされたプレーから生まれたという。

 俊輔氏自身も、07~08年シーズンの欧州CLで当時最強と言われたバルサと対戦。スペインの技術の高さを肌で感じている。

 「ずっとボールを持たれていると、自信をなくす。ゲーム中のリズムも持てない。そうなると、ミスが怖いとか、ボールをもらいたがらないとか、負の連鎖が起きてしまう。怖い、だからポゼッションサッカーは凄い」

 ただ一方で、デザインされたプレーが多いからこその、欠点もあると分析する。

 「GKのフィードは必ずモラタの胸の辺りに蹴って、横のサポートにボールを落とすのが決まりごとになっている。そこにCBがガツンと行けば、セカンドボールを拾って、チャンスになるかもしれない」。日本戦で1トップでの初先発が予想されるモラタの弱点を指摘した。

 当然、ボールを回されることは想定内。「だから忍耐、我慢が必要。少ないチャンスをいかにものにできるか。アンカーをマークしても、CBを前に持ってきたりする。だから前の人が、なるべく1人で追いすぎないで、連動して追うことが大事。どこかで取ろう、取ろうと思っても、なかなか取れないから、逆にどこかを捨てないとダメだと思う。日本として2、3個、戦い方を決めるのもありだと思う」

 例えば味方のゴールキック。ドイツもCBと1トップが自陣に戻る動きを見せ、斜めに走った右MFにボールを蹴って好機をつくった。そのプレーを参考に「ゴールキックの種類を増やすのも面白い」とアイデアを口にした。

 初戦でドイツを破ったように、何が起こるのか分からないのがサッカー。「1勝1敗だけど、ドイツに負けて、コスタリカに勝ったと考えればいい」。運命の一戦へ、ジョーカーとして三笘に期待を寄せつつ「スペイン対策というよりも、今まで森保さんがやってきたサッカーで、集大成じゃないけど、大船に乗ったつもりで頑張ってほしい」と、森保ジャパンにエールを送った。

 ◇中村 俊輔(なかむら・しゅんすけ)1978年(昭53)6月24日生まれ、横浜市出身の44歳。97年に桐光学園から横浜M(当時)入り。02年7月にレジーナ(イタリア)移籍。05年7月に移籍したセルティック(スコットランド)で数々のタイトルを獲得。09年6月にエスパニョール(スペイン)に移籍し、10年2月に横浜復帰。17年から磐田でプレーし、19年7月にJ2横浜FCに加入した。日本代表は98試合24得点。W杯は06、10年に2度出場した。1メートル78、71キロ。利き足は左。

 ▽俊輔氏の欧州CLバルセロナ戦 ロナウジーニョ、メッシ、イニエスタ、シャビらを擁し、当時最強といわれたチームと07~08年シーズンの、決勝トーナメント1回戦で対戦。ホームの第1戦を2―3で落とすと、アウェーの第2戦でも0―1で零敗し、2戦合計2―4で敗退。スコア以上の実力差を見せつけられ俊輔氏は当時、「サッカー観が変わるぐらい衝撃だった」と話していた。

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