武豊 JRA4000勝!名馬、伝説とともに32年目で金字塔

[ 2018年9月30日 05:30 ]

<阪神10R>メイショウカズヒメでJRA通算4000勝を挙げた武豊は、鞍上でポーズ(撮影・平嶋 理子)
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 武豊(49)は29日、阪神10Rをメイショウカズヒメで制し、史上初のJRA通算4000勝を達成した。1987年3月1日のデビューから32年目、2万1235回目の騎乗だった。前人未到の大記録まであと3勝として迎えた同日に、第3、第5Rを含め「一日3勝」で一気に決めた。10月7日には仏G1「凱旋門賞」でクリンチャーに騎乗する同騎手。次の金字塔は、過去6度挑戦してはね返された世界最高峰レース制覇だ。

 台風24号接近による大荒れの空模様となったが、その瞬間、武豊の快挙を祝福するかのように雨も上がった。

 「今日できればいいと思っていた。長年多くの人、馬に恵まれ、ここまで来られた」

 大記録をデビューの地、阪神競馬場で達成。ウイナーズサークルでは、4000勝を記念したTシャツを着た騎手仲間が登場するサプライズに「みんなに祝福され、こんなうれしいことはない」と笑みを浮かべ、自らの指を広げ「4」の数字をつくった。

 あと3勝として迎えたこの日は3Rをまず制すると、5Rでは親交の深いタレント・木梨憲武の命名馬ゴータイミングで快勝。リーチをかけると、10Rのメイショウカズヒメで決めた。「父(故邦彦氏)の代からお世話になっているオーナー(松本好雄氏)の馬で区切りを達成できて一段とうれしい。父には今日の僕の姿を見てもらいたかったです」と感謝を込めた。

 デビュー以来の総騎乗距離は3441万1400メートル。東京―米サンフランシスコ間を2往復できる距離だ。デビュー時からスタート巧者で馬に負担が少ない乗り方。最初は非力だったが、欧州の重い芝や米国のダートで経験を積み、力強さを身につけた。1980年代。欧米と日本の間には高い壁がそびえていた。果敢にアタックし89年、米国で海外初勝利。その後も世界に挑み続け海外でG1・9勝を含む100勝以上。今では、世界中のホースマンが「ユタカ・タケ」の名を知っている。

 もちろん、これが終着点ではない。「(4000勝は)一つ一つの積み重ねで、それぞれに思い出はあるが、これで終わりではない。騎手としてもっと成長したいと思って頑張りたい」。次なる目標として「4001勝目。次のレースに勝つこと」とした上で、89年から08年までの20年で計18度獲得したリーディングジョッキー(年間最多勝)についても「難しいとは思うが、もう一度獲りたいと思っている」と続けた。

 10月7日には「凱旋門賞」が待ち受ける。今回が7度目の挑戦。「いつかは必ず勝ちたい」――。来年3月に50歳を迎えるが、いつかムチを置く日まで、ひた走る生きざまこそが武豊の存在意義だ。

 ◆武 豊(たけ・ゆたか)1969年(昭44)3月15日生まれ、滋賀県出身の49歳。87年に栗東・武田作十郎厩舎所属でデビュー。年間最多勝に歴代最多の18回輝いたほか、歴代最多のJRA重賞通算329勝、ダービー最多5勝を含むG1通算75勝など数多くの記録を保持している。日本騎手クラブ会長なども歴任。父は名騎手で知られた故武邦彦調教師、弟は武幸四郎現調教師。

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