山本譲二 「みちのくひとり旅」大ヒットの裏でついていた“ウソ”「本当に今でも恨んでます」

[ 2023年12月9日 14:24 ]

歌手の山本譲二
Photo By スポニチ

 演歌歌手の山本譲二(73)が9日放送のTBSラジオ「ナイツのちゃきちゃき大放送」(土曜前9・00)にゲスト出演。ブレーク時についた“ウソ”をぶっちゃける場面があった。

 山口県出身の山本は学生時代は野球に打み、早鞆高校3年生の時に第49回全国高等学校野球選手権大会に出場。歌手になるために上京し、1974年に伊達春樹として歌手デビュー。その後、北島三郎と出会い、1976年に山本譲二名義で再デビュー。1980年、30歳の時に「みちのくひとり旅をリリース。翌年、「夜のヒットスタジオ」への出演をきっかけに大ブレーク。通算100万枚を超える大ヒットとなった。

 パーソナリティーの「ナイツ」塙宣之から「山口から甲子園出たんですね。凄いですよね」と話を振られると、山本は「出ましたね。僕らの後は(夏の大会には)出てないんですよね。何十年かぶりに春に出ました。その子たちとも会いました、地元帰って。僕らがやっている頃は強かったです。4級先輩が準優勝して、1級先輩が甲子園に出て。次の年にグラウンドに立ちました」と回顧。

 「レギュラーじゃなかったです。背番号10番だったです。レフトなんですけどね、当時は山口県と島根県で2県で1校だったの。だから凄い狭き門」と振り返った。

 予選の時の背番号は7番だったという山本。「大エラーしちゃって、ちんたらしていたのが監督さん、腹立ったんだろうね。帰ってきたらベンチの中でノックバットで頭、ブチなぐられて。本当よ、ブチ殴られて、目から火が出て、タバコに点きそうだった。それで旅館で背番号渡されるんだけど、10番やった…」と苦笑した。

 それでも、代打で出場。「一応、ヒット、打ったんですよ」と山本。「『みちのくひとり旅』が売れている頃に、テレビでもラジオでも“センター前ヒット”って言ってたんですけど、セカンドが捕るんだ、この球を」とブレーク時の“ウソ”をぶっちゃけ。「捕らなくてもいいのに、本当はセンター前に抜ける球を。捕らなければ本当にセンター前ヒットだった」と恨み節。「でも、ヒットってことは僕の足がベースを早く走り抜けた。あのセカンド、本当に今でも恨んでます」とボヤいた。

続きを表示

「美脚」特集記事

「STARTO ENTERTAINMENT」特集記事

2023年12月9日のニュース