摩天楼の残滓

[ 2019年9月11日 07:30 ]

大林素子
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 【我満晴朗 こう見えても新人類】「ヤオハン」――なんとも懐かしい響きだ。同グループを率いていた和田一夫さんが8月19日、老衰のため90歳で亡くなったというニュースを読みながら、あの独特のニコニコ顔が記憶によみがえってきた。

 取材で会ったのは後にも先にも1度だけ。1993年11月9日だから、もう26年も前になる。

 バブルの香りがそこかしこに漂う時代。当時、中国大陸での事業を拡大中だったヤオハンは香港にグループの本部を構えていた。かの有名な高層ビル群に囲まれた本部の一室ではその日、史上初となる女子バレーボールのプロチーム「ヤオハン・インターナショナル」発足会見が行われた。

 発表されたメンバーは監督兼任の郎平(中国)をはじめルイス(キューバ)ケムナー(米国)ら、名だたる五輪メダリストばかり。まさにドリームチームと言っていいだろう。

 その晴れの会見の場にいたのが和田さんだった。笑みこそ絶やさないものの視線は尋常なく鋭い。質疑応答の場になって日本からの報道陣が真っ先に聞いたのが「大林素子(当時日立)との契約は?」だった。なにしろ、この質問のためだけに香港入りしていたようなもの。スポーツ記者がめったに取材できない財界トップ人物に、直当てできる唯一の機会。にっこりほほえんだ丸顔の総帥は「大林さん、是非欲しいですね」と訳ありげに返した。皆さんの方がご存じでしょ? という表情で。

 驚いたことに、チームの会長には大林の恩師・山田重雄氏の名がある。さらに会見には大林の母親・弘子さんまで招待されていた。早速話をきくと「私なら挑戦したいです」と言うではないか。外堀は完全に埋められている。これはもう間違いない。舞い上がった筆者は移籍決定ほぼ確実といったニュアンスの原稿を意気揚々書き上げて送稿した。

 最終的に、大林は魅力的なオファーを断って日立残留を決めた。3年後のアトランタ五輪で好成績を挙げるためには国内にとどまってチームワークを磨き上げる方が得策と判断したからという。

 華々しく発足したヤオハンは93年末から翌春にかけて中国内を転戦。94年春には来日して日本代表に2戦2勝と強烈なインパクトを残した。しかしながら日本法人の経営悪化に伴い自然消滅。打ち上げ花火のごとく、はかなき命のチームだった。

 あまりに強烈なインパクトを残して消えてしまった黄金軍団。今、似たような企画を実行できるかとなると難しいだろう。あの頃と違ってバレーボールの社会的注目度が低すぎる。特にその競技のファンでなくても顔と名前が一致するスーパースターが不在だし。(※個人の感想です)

 W杯を前にバラエティー番組出演が目立っていた○○NIPPON。露出手段として別に悪くはないと思う一方、なんだかなの心境にもなっている。(専門委員)

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