船村さん追悼の声続々「今の五木ひろしはない」「一生の恩人」

[ 2017年2月18日 05:30 ]

船村徹さん死去

作曲家の船村徹氏
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 【船村徹さん悼む】

 ▼舟木一夫(67年「夕笛」を歌唱)30歳のころ歌手をやめようと思ったことがあり、夜中に突然、船村先生から電話で「やめるのは君の勝手だし自由にすればいいけど、俺の大好きな“夕笛”はいったい誰が歌うんだ」と言って切られました。その時、「男の仕事とは、歌手が歌を歌うということは、そういうことか」と思いとどまりました。船村先生からの電話がなければ恐らく歌手をやめていたと思います。一生の恩人です。

 ▼五木ひろし(「傘ん中」など)私の芸名が五木ひろしになる前、10週勝ち抜きに挑戦した全日本歌謡選手権という番組で先生は審査員として励ましの言葉をかけてくださいました。あれから47年になりますが、10週勝ち抜きがなければ今の五木ひろしはありません。先生が亡くなられても船村メロディーは永遠に人々の心に残り続けますし、私たち歌手が継承していきたいと思います。

 ▼森進一(91年「酒無情」を歌唱)「酒無情」は船村先生らしい叙情あふれるメロディーの魅力を改めて実感しました。しみじみとした演歌のメロディー作りの名手であられた先生のご逝去は残念でなりません。

 ▼細川たかし(83年「矢切の渡し」で日本レコード大賞を受賞)先月1月18日の先生のパーティーでお会いしたのが最後となってしまいました。先生からは「矢切の渡し」という名曲を提供していただき感謝の一言です。私にとって先生との出会いは本当に素晴らしいことでした。

 ▼杉良太郎(文化勲章受章を祝う会で祝辞)船村先生が文化勲章を受章されることによって演歌歌謡曲の世界が勢いづいてほしいという気持ちが私にはありました。お元気なうちに2016年度の文化功労者として選ばれ、去る1月18日に盛大なパーティーがあり、力強いあいさつを拝見し、うれしく見ておりました。

 ▼走裕介(門下生)走裕介を生み育てて芸能界という大海原へ船出させてくださった父のような存在。先生がいなければ、走裕介という歌い手はこの世に存在していない。

 ▼日本相撲協会八角理事長(船村さんが03年〜13年に横綱審議委員会委員を務める)突然の訃報に、思いがけないことゆえ驚いております。約10年にわたり横綱審議委員会委員として横綱白鵬、日馬富士の推薦をいただきました。

 ▼大月みやこ(86年「豊予海峡」などを歌唱)突然のご訃報にぼうぜんといたしております。1983年に「女の港」で私自身の歌世界を作り上げていただいて以来、私の大切な大切な恩人として長く敬愛申し上げておりました。今は、ただただご冥福をお祈りするばかりです。

 ▼松原のぶえ(デビュー曲「おんなの出船」など)文化勲章受章パーティーでお目にかかったときは元気そうでしたのに…。来年はデビュー40周年なのでぜひ作品をお願いしたいと思っていました。(弟子の北島三郎の弟子なので)「孫弟子だ」とかわいがっていただきました。父親のように、心のよりどころと感じていたのでポッカリと穴があいてしまっています。

 ▼島津亜矢(「海鳴りの詩」)小さい頃から船村先生の歌の世界が大好きで、曲をいただくことが夢でした。師匠の星野哲郎先生にお願いすること10年。わがままを聞き届けてくださり、頂戴したのが「海鳴りの詩」です。この歌との出合いで、今の私があります。

 ▼伍代夏子(新曲「肱川あらし」を歌唱)突然のことで大変驚いております。去年の心臓の手術も成功し、もっともっと作品を歌わせていただけると信じていましたのに大変残念でなりません。

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