オリックス・宮城 基金設立への思い「手助けができればうれしい」

[ 2022年12月14日 07:00 ]

野球教室でのオリックス・宮城(中央)
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 「ずっと考えていたことなんですよね。もう少し、ちゃんと考えて、何をどうするか、決めるつもりです」

 2年前のオフのこと。プロ初勝利を飾り高卒1年目を終えたオリックス・宮城大弥投手(21)に、“寄付金とか、そういった慈善活動は考えている?”と尋ねた時の返事が冒頭のコメントだった。

 「一つでも多く手助けできればいいと思いますし、野球だけでなく、いろんなスポーツで。(経済事情で)難しい人もたくさんいると思うのでその人たちの手助けになれればベストかなと思います」

 今年9月に一般社団法人「宮城大弥基金」を設立した。社会貢献活動を目的に、父・享さんを代表理事として12月1日から募集活動をスタートさせた。故郷・沖縄のアスリート支援に活用するもので、自身も来季の奪三振数などに応じた寄付金を検討している。

 根底には、幼少期の自身の貧しかった経験がある。享さんは交通事故で左手が不自由になり定職に就けなかったこともあり、家計は苦しかった。ユニホームは、つぎはぎだらけだった。何日も具のない、白米とルーだけのカレーを食べ続けた日もあった。野球道具や高額な遠征費を用意してくれた家族へ、プロになって必ず恩返しをする――。懸命に左腕を振ってきた。

 母校・興南の我喜屋監督から徹底指導された「イズム」も根付いている。早朝6時から散歩を兼ねたゴミ拾いと1分間スピーチ。我喜屋監督からは「各自で情報収集をしてゴミを拾いなさいと。季語や時事ニュースなど多角的な視点を、それは、相手の戦略分析にもつながるから、と」。4人1部屋だった寮時代を振り返り、「私生活の方で厳しく教えてもらいました」。

 たどり着いたプロの世界で、同期は「令和の怪物」佐々木朗、ヤクルト・奥川らと強力だが、そんなライバルたちに見劣りしない結果を残してきた。知名度アップは確実に「支援の輪」を広げることに、つながるはずだ。

 「いま募集をかけているところです。沖縄でやっているので。それをやって、何件か来て、という連絡が来るという。つながればいいですし、その中で、他の人に手助けができればうれしいです」。素朴な雰囲気と愛嬌、ちょっぴりブラックなユーモアと人間味溢れる左腕。きっと誰もが応援したくなるはずだ。(記者コラム・湯澤 涼)

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2022年12月14日のニュース