新庄ビッグボス “ルーツ”は父の教え「お父さんみたいな人の育て方をしていきたい」

[ 2022年1月31日 22:17 ]

日本ハム・新庄監督
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 日本ハムのビッグボスこと新庄剛志監督(50)が31日放送の日本テレビ「人生が変わる1分間の深イイ話」(月曜後9・00)にVTR出演。2011年に他界した父・英敏さんとの思い出を語った。

 番組は新庄氏を密着取材し、そのもようが放送された。日本ハムの監督就任を報告するため、英敏さんの墓参りへ。「力を貸してくれという報告と、こんな僕が監督になれた。ありがとねと言いました」。父は植木職人で、お酒を「ガソリンたい」というほどの酒豪、厳しい人だったという。「仕事は1回も休んだことがなくて。合気道の先生もやっていたんです。だから気持ちの面で厳しかったというか。靴のかかとを踏むだけでも怒られていた」と振り返った。

 新庄氏が子どものころ、父から「石を投げてみ」と言われ、その通りにした。「60、70メートル投げたのかな。そしたら親父が『剛志ありがとう。野球選手や』って。もともと親父は大の巨人ファンで、僕を野球選手にさせたいと思っていたらしい」と明かした。

 1989年、阪神からドラフト5位で指名され入団。プロ3年目、92年5月26日の大洋(現DeNA)戦の2回にはその年の初スタメン初打席で初球本塁打。新庄氏は父の助言に触れ「よく言われていたのが『初球を打て、初球が一番甘いボールが来るから』って」としつつ、「初球でホームラン打ってそこからですよ、そこから十何年もレギュラー」と語った。

 新庄氏の活躍を楽しみにしていたという英敏さんだったが、がんを患い2011年8月5日、天国へ旅立った。新庄氏は初任給で購入し「17年間使い続けた」グラブを棺に納めた。「お父さんとグローブは一緒に燃えていって。今そのグラブと一緒に、カッコつけじゃないけど、一緒にやっていたらうれしいな」と、しみじみ話した。

 父の教えは「自分が思っているよりも先に、人がどう思っているかっていうのを常に考えていきなさい」だったそう。「僕のお父さんの人生で、きつい・疲れた・痛い・涙は見たことがない」とも打ち明け、「人生の師匠は本当にお父さん。そのお父さんみたいな人生というか、人の育て方をこれからしていきたいなと思います」と誓った。

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2022年1月31日のニュース