【内田雅也の追球】試合ノック、2死二塁で何を打つ? 阪神、実戦想定で「想定外」打球

[ 2020年2月8日 08:00 ]

<阪神宜野座キャンプ>ケースノックで遊飛を落球する木浪(撮影・坂田 高浩)
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 走者を付けた試合形式のノック。2死二塁の場面。あなたがノッカー(コーチ)ならば、どこに、どんな打球を打つか?

 まず思いつくのは、内野の間をゴロで抜く安打だろう。外野手のチャージ(前進捕球)と送球、本塁上クロスプレーの練習になる。

 そんな風に考えながら記者席で見ていた。阪神・宜野座キャンプで7日、初めて行われた実戦形式のノック。「ケースノック」と呼んでいた。

 2死二塁で、ノッカーの外野守備走塁コーチ・筒井壮が打ったのは内野後方へのフライだった。難しい打球ではない。内野手が難なく捕球して3死・チェンジとなった。

 最初は意味があるのかと疑問に思った。あるOBに聞くと「普通はヒットを打って本塁送球の練習」だと話している。打ち損じでもなく、狙い通りに打っていた。どういうことだろう? ランチの合間、筒井に聞いてみた。

 「やはり、そう思われましたか」と筒井は言った。「誰だって、2死二塁なら外野へのゴロのヒットで本塁補殺を狙うプレーを思い浮かべますよね。当然、選手も準備をします」。外野手は前を守り、チャージ・送球を予測する。現にこの日も左前打で福留孝介は「待ってました」とばかり、本塁送球で刺していた。

 「でも、そんな、お決まりの練習じゃダメなんです。本当の試合では予想していない打球が飛んで来ます。外野へのヒットだろうと思っていたところに内野フライだと選手は“え?”となりますよね。この方がより試合に近いと思います」。つまり予定調和の「練習のための練習」を避け、より実戦に近づけた打球を打ったのである。

 「2死で走者がいてのフライは嫌なもんです。それに今日はいつもと違う強風も吹いていました。野球では、想定していないことが起きた時にどうするかが大事だと思います」

 表裏6イニングの間、筒井は2死二塁(または三塁)で内野への凡飛を計4本上げた。なかには遊撃にいた木浪聖也が落球しての失点もあった。後に再び木浪遊撃時に2死一、二塁で凡飛を上げ、捕球させている。

 「落球ももちろんありうる。1%の可能性を突き詰めることで有利を得られる。勝利に近づくわけです。走者も全力で走る重要性を認識できます。2死一、二塁でフライ落球なら2点取りたいところですよね」

 阪神の歴史上、凡飛落球と言えば、すぐ2つの事件を思う。いずれもシーズン優勝への明暗を分けるプレーだった。

 優勝、日本一までなった1985(昭和60)年4月16日の巨人戦(甲子園)。1点を追う4回裏2死一塁。佐野仙好の遊飛を河埜和正が落球。一塁走者・岡田彰布が長駆(ちょうく)生還を果たした。この回大量7点につながった。

 <最大のポイントは岡田の走塁>と当時、本紙評論家・西本幸雄が紙面でたたえていた。<昨年までの阪神なら、どの選手でも全力疾走を怠っていたであろう。だが、岡田は球が落ちてくるまで忠実に走り、スピードを緩めなかった>。後にチーム内で「優勝へのムードを予感した疾走だった」と語り草になった。

 反対に優勝を逃した「世紀の落球」がある。1973(昭和48)年8月5日の巨人戦(甲子園)。1点リードの9回表2死一、三塁。中堅正面へのライナー性飛球に池田純一が転倒し、2者が還って、逆転負けを喫した。実際は落球ではなく転倒、記録も三塁打だった。だが、同年、最終戦決戦で巨人に敗れ、優勝を逃したため、戦犯のような扱いを受けた。

 「落球したまま終わるのは嫌な気分でしょうから木浪にはもう1本上げて捕らせました」

 他にも外野手がゴロ捕球で弾いたり、バント処理でのベースカバー不在などミスが相次いだ。

 「試合では予期しないことが起きる。明日(8日)は初めての練習試合だし、やっておきたかった。たくさんミスが出たが、今はそれでいいと思います」

 想定外こそ野球の醍醐味(だいごみ)であり、勝敗を分けるプレーになる。失敗したのなら、また練習すればいい。それがキャンプである。=敬称略=(編集委員)

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2020年2月8日のニュース