【高校野球メモリアルイヤー】ダルビッシュ有が涙した日「3年生ともう野球が…」

[ 2018年5月30日 11:00 ]

プレーバック甲子園の詩2018~阿久悠さんが見たあの夏の記憶(5)

03年、第85回大会決勝で常総学院に敗れて涙する東北・ダルビッシュ
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 号泣――。2003年決勝。東北(宮城)の2年生エースだったダルビッシュ有投手(現カブス)は右足の痛みに耐えて完投したが、常総学院(茨城)に逆転負けし、東北勢初優勝を果たせなかった。日本を代表する投手となり、日米通算150勝を達成した右腕が、大会中に17歳になったあの夏を回想した。 (取材・奥田秀樹通信員)

 「甲子園の詩」25年目の最終章。阿久悠は、熱戦の後に両チームの選手たちが流した涙を題材にした。整列でも、アルプススタンドへのあいさつでも崩れんばかりに泣き続ける東北の背番号1は、とりわけ印象的だったはずだ。17歳になって1週間のダルビッシュ。15年がたちメジャーリーグで戦う右腕は、涙の理由を思い返した。

 「1つ上の3年生たちに凄く優しくしてもらっていた。最後勝てなくて、この人たちともう野球ができないんだと思うと、凄く悲しかった。負けた悔しさというよりもね」

 2―4。2回に1年生・加藤政義(元DeNA)らの3連続二塁打で先制点をもらったが、4回に坂克彦(元阪神)のチャンスメークから逆転を許した。常総学院を率いるのは、勇退を決めていた木内幸男監督(08年復帰)。「あんな球、打てっぺ!」とハッパを掛けられた相手選手たちは、バントなしで振ってきた。「木内マジック」の勝利――。試合を伝える報道のトーンは総じてそうだった。

 「結果論じゃないかと思いますね。常総学院には単純に、いい選手がいた。いくら木内マジックといっても、レベルの低い選手ではマジックは起きない。坂さんが左中間に打った二塁打は、真ん中低めの真っすぐ。いいバッティングでした」

 定量化不可能な「魔術」と違い、確かだったのは、ダルビッシュのコンディションだ。1メートル94の長身から最速149キロを投じる剛腕には、才能と成長過程のもろさが同居していた。筑陽学園(福岡)との1回戦は宮城大会前から不安があった腰の痛みで2回降板。黒縁眼鏡をかけた背番号18、真壁賢守の好救援が脚光を浴びた。

 2、3回戦は完投。3回戦は平安(京都、現龍谷大平安)の服部大輔と2年生同士で火花を散らした。ダルビッシュ15、服部17奪三振で延長11回まで渡り合い1―0で勝利。しかし、救援登板した光星学院(青森、現八戸学院光星)との準々決勝で、今度は右すね内側の筋肉がけいれんした。試合後に直行した病院での診断は「過労性骨膜炎」。準決勝の登板を回避した。

 「体はあちこち痛かったけど、あの決勝は最後まで投げたいなという思いがあった」

 決勝前夜、若生正広監督の部屋を訪ね「自分は投げないといけないんです。先発で最後まで投げさせてください」と訴えていた。12安打を浴びながらも124球完投。閉会式での場内一周では右足を引きずる姿があった。

 「甲子園の決勝で投げたのは自慢にはなります。この辺から、周囲の東北高校を見る目が変わりましたね。宮城県でもそうだし、一気にスターの高校になった感じがしました」

 東北勢の準優勝は5校目だった。ダルビッシュ、真壁や4番・横田崇幸ら、決勝で涙したナインの多くは2年生。阿久の観戦記には「レギュラーが来年も出られるのだから、楽しみの延期と思えばいい」とある。3年生になったダルビッシュは春夏ともに聖地に立った。センバツ初戦、熊本工戦でノーヒットノーラン。ただ準々決勝で敗れ、夏も2完封後の3回戦で千葉経大付に屈した。「悔いはない」と涙はなく、甲子園の土も持ち帰らなかった。 =敬称略= 第2章終わり

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