前日ロッカーに異変が…鳥谷止まった 連続出場歴代2位1939試合

[ 2018年5月30日 05:30 ]

交流戦   阪神0―1ソフトバンク ( 2018年5月29日    甲子園 )

<神・ソ>ベンチで出番を待つ鳥谷だったが、連続試合出場は1939でストップ(撮影・奥 調)
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 ついに鳥谷の大記録が止まった――。日本生命セ・パ交流戦の初戦29日、阪神は甲子園でソフトバンクに0―1で敗れ、連勝は5で止まった。鳥谷敬内野手(36)は最後まで出場せず。入団1年目の04年9月9日のヤクルト戦(甲子園)から15年に渡った歴代2位の連続試合出場は1939で終止符が打たれた。

 ゲームセットまでの3時間48分の間、鳥谷に出番は一度もやってこなかった。0―1の9回2死一、二塁。中谷が空振り三振。最後は、一塁ベンチで逆転を願っていた。

 「いつかは止まるもんなんで」

 積み重ねてきた大記録が途絶えても、いつもと変わらない表情で淡々としていた。早大からドラフト1位で阪神入団。将来の中心選手を確信していた当時の岡田監督は1年目の開幕戦となった04年4月2日の巨人戦から先発に抜てきした。東京出身の若者は関西の文化になかなか慣れずに戸惑うこともあったが、いつも注目を浴び、大きな重圧を背負いながら同年9月9日のヤクルト戦から大記録への第一歩を踏み出した。

 「良い時も、悪い時も使ってくれた(歴代の)監督たちに感謝したいです」

 いつもいつも、休むことなく試合に出続けた。その日々を振り返って真っ先に思い浮かんだ言葉が岡田、真弓、和田、そして金本の歴代監督への感謝だった。結果で応えてきたからこそ起用された。16年7月24日の広島戦では連続フルイニング試合出場が歴代4位の667でストップ。それでも地道な努力と試合前のルーティンを変えることはなかった。

 この日も試合開始の約4時間前からグラウンドに姿を現していた。誰よりも早く二塁のポジションで早出特守を受けていた。20日の中日戦から先発落ちが続くが準備はレギュラー時と何ら変わらない。試合中も「裏でバットを振っていた」といつものように出場を待った。だが1939の数字が、前に進むことは無かった。

 「鳥谷を使う場面がなかったね。試合をやっている以上は、状況がありますから。シーズンオフから話はしているよ」

 大きな決断を下した金本監督は勝利を目指した用兵を最優先した。これまでも何度も2人で話し合った。鳥谷からもチーム方針に従う意思を伝えられていた。前日28日には甲子園球場のロッカーがきれいに整理整頓されており、チームメートや関係者も鳥谷周辺のざわつきを感じ取っていた。

 鼻骨など様々な箇所を骨折しながら隠して出場したことが何度もあった。まさに壮絶な15年間だった。

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