ベンチで座禅…榎本喜八氏 殿堂入りで孤高の大打者に光

[ 2016年1月19日 05:30 ]

榎本喜八氏

野球殿堂・競技者表彰

(1月18日)
 昭和の伝説的な大打者に、ようやく明るい光が当てられた。12年に死去した父に代わり、表彰式に出席した榎本喜八氏の長男・喜栄(よしひで)さん(50)は「何より本人が喜んでいると思う。伝説の打者が親族にいたということを後世に伝えていきたい」と感謝の言葉を口にした。

 球史の表舞台から長きにわたって遠ざかっていた存在だった。早実から毎日(現ロッテ)にテスト入団し、55年に高卒1年目で新人王。安打製造機と称され、プロ野球最年少31歳229日で通算2000安打に到達した。小柄な体で正確無比な打撃フォーム。「大毎ミサイル打線」の中核で早熟の天才打者だった。

 しかし、天才ゆえに孤独だったのか。いちずな性格もあって、周囲には風変わりに映る行動もしばしば見せた。ベンチで座禅を組み、納得のいく打撃ができなかった際には球場で荒れ、物を壊すことも。自宅では日本刀で素振りをしていたが、その刀で庭の太い木を一刀両断したこともあったという。72年に現役を引退。その後、球界との距離は空いたままだった。

 それでも榎本氏は、復帰を願っていた。自宅ではいつコーチに呼ばれてもいいようにトレーニングを継続。若い選手に負けないために、との思いだった。「一つのことをストイックに求める気質が強い人だった。不器用な面もあって、理解されない葛藤もあったと思う」と喜栄さん。その風変わりな言動は有名だったが、家族には「至って普通な、非常に優しい父親だった」と振り返った。

 晩年。往年のファンはもちろん、インターネットなどで偉大な業績を知った若いファンからも、自宅にサインを求める色紙やボールが届いた。榎本氏は丁寧にサインをしながら、「僕は引退してからの方が人気があるんだな」とうれしそうに話していた。野球に殉じようと願いながら、再びユニホームを着る機会に恵まれなかった大打者。ようやく届いた朗報に、伸子夫人(84)は「やっとだね…」と漏らしたという。 (鈴木 勝巳)

 ◆榎本 喜八(えのもと・きはち)1936年(昭11)12月5日、東京都生まれ。早実では春夏合わせて甲子園に3度出場。55年に毎日(現ロッテ)にテスト入団。1年目に打率.298で新人王。60年、66年に首位打者、60~62年、66年に最多安打を獲得した。パ・リーグ記録のベストナインを9度受賞した。72年に、西鉄に移籍し、同年限りで現役を引退。左投げ左打ち。12年3月14日没、享年75。

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