山中・元法大監督 アマで球界発展貢献「東京五輪の野球復活へ力に」

[ 2016年1月19日 05:30 ]

1967年の秋季リーグで勝利を喜び合う山中と田淵(左)の法大バッテリー

野球殿堂・特別表彰

(1月18日)
 元法大監督の山中正竹氏はアマ選手、指導者として球界発展に貢献したとして特別表彰された。東京六大学リーグ最多の48勝を挙げた法大時代の写真を見つめ「大変光栄なこと。4年間を全うできて積み上げた数字は私の誇り」と感慨深げだ。

 1メートル68の小柄な左腕だった。同期の投手には高校時代から注目され、のちに阪神などで活躍した江本孟紀らがおり「神宮で1回でも投げられたらいいと思っていた」が、持ち前の制球力が買われて1年春からリーグ戦に登板。当時の松永怜一監督に「1年春から活躍した投手が4年まで活躍した例はあまりない」との言葉に発奮し「4年間絶対投げ続けてやろうという思いで努力した」と振り返った。初めてベンチ入りが決まった翌日には姉の結婚式があり「電報で報告して、はなむけになったと思った」と当時の思い出も披露した。

 卒業後はプロには行かず、社会人野球の住友金属でプレー。引退後は92年バルセロナ五輪で日本代表監督を務め、銅メダル獲得に貢献した。「2020年東京五輪の野球競技復活へ力になれれば」。野球への愛情が尽きることはない。 (松井 いつき)

 ▼田淵幸一氏(法大の1学年先輩。スポニチ本紙評論家)彼が1年生で入学してきて、合宿所が同室だった。えらい小さな投手だなという印象だったが、ブルペンで受けたらボールの切れが抜群にいい。何よりクレバーで、投球のコツをよく知っていた。

 ▼松永怜一氏(元法大、84年ロス五輪監督。ゲストスピーチで出席)大分出身といえば「鉄腕・稲尾」、「火の玉・荒巻」、「制球の山中」。山中が神宮で学生最後のマウンドに上がった時、大歓声が起こり、こんなにうれしいことはないと思った。

 ◆山中 正竹(やまなか・まさたけ)1947年(昭22)4月24日、大分県生まれの68歳。佐伯鶴城から法大に進み、東京六大学野球リーグの歴代最多となる48勝をマーク。卒業後は住友金属でエースとして活躍した。81年から住友金属監督。88年ソウル五輪では日本代表コーチ、92年バルセロナ五輪では監督を務めメダルを獲得した。94~02年法大監督。03年にはプロ野球横浜の専務に就任した。

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