【レジェンドの決断 木佐貫洋1】日記には記されていた“背水の覚悟”

[ 2016年1月19日 10:00 ]

脳裏に「引退」がよぎった14年オフ。2軍施設の千葉・鎌ケ谷でキャッチボールする木佐貫

 簡単には決断できなかった。迷いに迷った。戦力外を通告された昨年9月16日から引退を決断するまでの12日間、木佐貫の心は揺れた。

 「戦力外は8月から言われると覚悟していた。ただ、僕の場合は肩や肘が痛くてどうしようもないという訳ではないので、現役を続けるのか、辞めるのか。気持ちが二転三転どころではなく、グラグラと揺れた」

 脳裏に「引退」の文字がよぎったのは、日本ハム移籍2年目の14年。前年は9勝を挙げながら、わずか5試合の登板で1勝3敗に終わった。「14年の成績が本当に悔しくて、その年のオフに来年やれなかったらもう辞めると思っていた」

 来年は最後になるかもしれない――。その思いを胸に14年オフは2軍施設の千葉・鎌ケ谷の寮に泊まり込みで練習に励んだ。普段は自宅から通うベテラン右腕の行動に、若手からは「木佐貫さん何で寮にいるんだろ。奥さんとケンカしたんじゃない?」という視線さえ受けたという。でも、気にならなかった。それだけ必死だったからだ。

 不退転の覚悟で臨んだ15年。木佐貫は2軍でも苦しんだ。「イメージが狂っているとか、体が衰えているという感覚はなかった」というが、年齢が一回りも下の若手に簡単に打ち返された。何とかきっかけをつかみたい。頼ったのは10数年間記してきた日記だった。

 未勝利に終わった巨人時代の05、06年の日記を読み返した。「良くなかった時の対処法を書いていて、この1年間はそれをいろいろと試した」。それでも、挽回することはできなかった。2軍で16試合に登板し、0勝6敗、防御率7・67。一度も1軍に上がることなく戦力外通告を受けた。

 そこから12日間悩んで出した決断のきっかけもまた、日記だった。06年から使用している「5年日記帳」は、その日付に5年間分を記すことができ、過去を振り返ることができる。9月27日の夜。自宅で14年の日記を読み返すと、背水の覚悟で15年シーズンに臨んだことを思い出した。「今年できなかったら辞めようと思っていたな」。そして、若手に打たれる映像も頭に浮かんできた。その時に決断した。

 「もう、辞めよう」

 引退しても野球に携わりたいと思っていた。そんな時、声を掛けてくれたのは古巣・巨人だった。木佐貫はプロ野球人生をスタートさせた巨人を、第二の野球人生の出発点に再び選んだ。 (中村 文香) 

 ◆木佐貫 洋(きさぬき・ひろし)1980年(昭55)5月17日、鹿児島県生まれの35歳。川内から亜大に進み、4年時に東都リーグ春秋連覇。同年の大学選手権、明治神宮大会も制し4冠。02年ドラフト自由獲得枠で巨人入団。1年目の03年に10勝7敗で新人王。09年にオリックス、13年に日本ハムへトレード移籍。11年には自身初の開幕投手を務めた。通算215試合登板で62勝72敗10セーブ。1メートル88、84キロ。右投げ右打ち。

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