コーチが“謝罪” 田沢 もう、マイナーの選手じゃない

[ 2013年1月18日 15:51 ]

セットアッパーとして攻めの投球でチームを支えたレッドソックス・田沢

野球人 レッドソックス・田沢純一(下)

 3Aポータケットにいた昨年6月20日、遠征先のニューヨーク州シラキュース。レッドソックス・田沢は悩んでいた。右肘手術復帰から2年目。球威は戻り球速も増している。リリースポイントも自分の理想のポイントにほぼ到達したのに、である。

 「調子は悪くないけど、いいコースに球が行ってもバットが折れてヒットとか、詰まりながらもヒット。もっとコースを、高さを意識しようと思ったらボールが続いて四球になってしまう」

 自らを「四球を出すタイプではなく、むしろ甘く(球が)いって打たれる方」と分析する。その右腕が6試合連続与四球。5月26日のトレド戦ではエルドレッド(現広島)にコーチの指示通りに初球スライダーを投じたが逆方向に3ラン。2回5失点と打ち込まれ「四球が多くて悩んでいたのできつい。もうマイナーでもやっていけないのでは」と自信を失った。

 経験したことのない苦しみ。救ってくれたのは3Aのリッチ・サウバー投手コーチだった。20日の試合前、ベンチへ呼び出されると、いきなり「他の投手がメジャーに上がって、ふて腐れているのか」と切り出された。即座に否定し、悩みを打ち明けた。すると「経験が少ないのは分かっている。打たれてこいとは言わないが、ど真ん中でいい。思い切り腕を振って投げてみろ。打たれても、こっちがそう指導したとフロントには伝えるから問題ない。責任は取る」と背中を押された。開き直る勇気を持て――。効果はてきめんでその後は快投が続いた。「ひと皮むけることができた」。訪れた転機をプラスに変えた。

 7月にメジャーに呼ばれると最後はセットアッパーにまで昇格した。周囲の評価を高めたのが、8月1日のタイガース戦。昨季3冠王カブレラとの対戦だ。9回2死一塁フルカウント。9球粘られた後、直感で直球を選び勝負を挑んだ。「あそこは(打者が)直球を待つ場面。威圧感も凄いし、どこに投げてもバットに当たる感じがする。自分でもよく投げたなと」。結果は空振り三振。追い込まれても力勝負した度胸、その上での好結果に称賛の声が続いた。

 階段を上がった実感はある。昨季最終戦の10月3日のヤンキース戦。1回を3人で抑えた田沢に、ランディ・ニーマン投手コーチは謝罪してきた。「本当は投げさせるつもりはなかった、すまない。でもアウトを取れる投手がお前しかいなかった」。もうマイナー選手ではない。戦力として認められた。右肘手術にマイナー落ちを経験した4年間。でも、進んできた道は間違いではなかった。

 ◆田沢 純一(たざわ・じゅんいち)1986年(昭61)6月6日、神奈川県横浜市生まれの26歳。横浜商大高2年夏は甲子園に出場するも登板はなし。05年に新日本石油ENEOSに入社し、08年夏の都市対抗では最優秀選手に贈られる「橋戸賞」を受賞。09年からレッドソックスに所属。通算46試合で3勝4敗、防御率3・73。1メートル81、90キロ。右投げ右打ち。

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