【何かが起こるセンバツ記念大会(5)】阿波の金太郎と打率9割のスラッガー

[ 2023年3月20日 08:00 ]

池田・水野の活躍を報じる83年4月6日付スポニチ紙面
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 熱戦が繰り広げられている第95回選抜高校野球大会。今大会は5年ごとに開催される「記念大会」。一般出場枠が4枠増え36校出場の大会となる。過去の記念大会では後にプロ野球で活躍するレジェンドたちが躍動し、史上初の完全試合が達成されるなど数々のドラマが演じられてきた。「何かが起こるセンバツ記念大会」第5回は1983年の池田・水野雄二、享栄・藤王康晴。

~やまびこ打線が挑んだ史上4校目の夏春連覇~

 昨年まで春夏連覇を達成したのは8度(7校=大阪桐蔭が2度)。一方、夏春連覇は4校しかない。1983年第55回選抜高校野球記念大会でこの大記録に挑んだのが池田(徳島)だ。前年夏、エースは82年ドラフトで南海ホークス(現ソフトバンク)に1位指名される畠山準。控え投手には翌83年巨人にドラフト1位指名される「阿波の金太郎」こと水野雄仁がいた。その安定した投手力と金属バットをブンブン振り回すパワフルな打撃が融合したハイブリッドなチームで初の全国制覇を果たしていた。

 82年秋、新チームには水野と3番・江上光治らが残った。徳島県大会から無敗の進撃が続いた。準決勝は蔦文也監督の母校でもある伝統校の徳島商に7―0で快勝。水野は完封、1発も放っている。決勝も13奪三振。小松島西に完封勝ちした。四国大会でも三本松(香川)に13得点で完封勝利。準決勝でも今治西(愛媛)を完封。決勝では4点を失ったが尽誠学園(香川)を撃破した。圧倒的な強さでセンバツ切符をつかみ「夏春連覇」への挑戦権を手にした。

 池田は大会の大本命。1回戦、相手は東の強豪・帝京(東京)だった。甲子園は5万人の観衆で埋まった。初回水野が先制タイムリー。なおも1死一、二塁から5番・吉田衡が左中間スタンドへ3ラン。“山びこ打線は”止まらない。14安打11得点の圧勝。水野が8奪三振で完封した。愛嬌のある笑顔に野球の実力はドラフト1位クラス。「阿波の金太郎」は高校野球ファンを魅了した。2回戦、岐阜第一にも12安打10得点。水野は1点を失ったものの自責点は0。8奪三振の快投だった。準々決勝の大社(島根)戦。毎回の17安打8得点。打線の援護を受け水野は7回2死までパーフェクト。「3、4回ごろからベンチに帰ってくるとみんなが冷やかすので早くから意識してました」3番・石飛に中前打され大記録はならなかったが2安打完封。打線は3試合でチーム打率は驚異の・410に達していた。

~阿波の金太郎 5試合防御率0・00、打率・455~

 準決勝、明徳(現明徳義塾)戦は苦しんだ。明徳の2年生エース山本賢をどうしても打ち崩せない。2回に山本のスリーバントスクイズで1点を失った。山びこ打線は7回までわずか3安打、沈黙していた。8回1死から8番・松村宏昭が相手失策で出塁。明徳が見せた一瞬のスキを見逃さなかった。続く井上知己の右中間を破る三塁打で同点。坂本文良の右前打でこの回逆転した。9回水野が締めて最大の危機を乗り切った。

 横浜商(神奈川)との決勝は水野が完封。「その瞬間、頭の中が空っぽで。最高の気分です」。74年「さわやかイレブン」で甲子園を沸かせた山の子たちが9年をかけて紫紺の大旗に手が届いた。水野は5試合を投げて防御率0・00。22打数10安打10打点、打率・455と投打で大車輪の奮闘。“高校野球の顔”となった。池田を最後に39年間「夏春連覇」を成し遂げた学校はない。この春、仙台育英(宮城)が偉業に挑むことになる。

~あの400勝金田の後輩 いきなり4の4~

 大会の前半で一躍ヒーローとなったのが愛知・享栄のスラッガー・藤王康晴だ。あの400勝左腕・金田正一を輩出。享栄商時代の1933年センバツから春7回、夏は3回出場。1968年夏以来、15年ぶりに甲子園の土を踏んだ古豪の主砲がプロのスカウトたちの度肝を抜いた。2日目の第2試合。敵失と死球で得た初回1死一、二塁。高砂南(兵庫)西尾のカーブをすくい上げるように右翼ラッキーゾーンに運んだ。高校通算31本目が「藤王打撃ショー」の“号砲”になった。3回には外角低め直球を三遊間へ。芝生の上を滑るように左中間に抜けていく適時二塁打。第3打席も中越え二塁打。第4打席は左前打。最終第5打席は四球も初舞台で5打席4打数4安打5打点でチームを1963年春以来20年ぶり。享栄商から享栄高に校名変更後、初の甲子園勝利に導いた。関西地区のメディアを中心に“掛布2世”との見出しが躍ったが、1メートル83、78キロは“1世”よりも一回り大きいしなやかな体格。計り知れない将来性を感じさせた。

 4日後の泉州戦(大阪)で藤王のバットが再び猛威を振るう。第1打席は四球も第2打席は右翼へ2試合連続となる2号ソロ。第3打席は中前打。第4打席では再び八木から右手一本で右翼ポール際まで運ぶ大会3号。1回戦と合わせ7打数7安打7打点。大会3本塁打と1試合2本塁打は現在もセンバツ個人最多本塁打タイ記録。2試合連続本塁打も当時の最多タイ記録。高砂南戦からの9打席連続出塁は史上2人目の最多タイ記録であった。

~藤王打撃ショー通算10打数9安打 11打席連続出塁の大記録~

 準々決勝、藤王のバットはさらに破壊力を増す。東海大第一(現東海大静岡翔洋)戦の第1打席、2球目の外角球を流した。遊撃手が横っ飛びで捕球、一塁へ送球したがセーフ。スコアボードに「H」のランプが灯った。第2打席は四球。第3打席は二ゴロで記録は途切れたが、11打席連続出塁は現在もセンバツ大会単独トップの大記録だ。第4打席も中前打と気を吐いたが試合は延長10回無念のサヨナラ負けとなり藤王の春は終わった。通算10打数9安打。この試合第1打席までの8打数連続安打は現在も最多タイ。個人通算塁打「20」は当時の大会タイ記録。記録ラッシュの怪物スラッガーは“阿波の金太郎”以上の衝撃を残して甲子園を去って行った。

~阿久悠氏「藤王は不死王 アウトにならない」~

 作詞家・阿久悠氏は毎年夏の甲子園でスポニチ本紙に連載していた「甲子園の詩」を藤王が敗れた4月4日に執筆している。センバツ期間中の執筆は異例のことだった。

 「春は藤王とともにきた この象徴的な名前の少年は 驚異と奇跡を独占し その上 憎いことに 次なる期待まで残したのだ 藤王は まさに不死王で アウトにならない」同氏は後書きで「この春、最も有名な少年になった藤王が、夏にまた別の驚きを見せてくれることを期待している」と締めた。

 阿久悠氏と想いを同じくする全国のファンは藤王猛打ショーの再演を熱望していたが同年夏、享栄は愛知大会決勝でのちに阪急(現オリックス)にドラフト1位指名される野中徹博擁する中京(現中京大中京)に敗退。願いはかなわなかった。藤王は同年ドラフト会議で地元・中日に単独1位指名された。“ミスタードラゴンズ”高木守道氏の引退以来欠番になっていた背番号1を受け継ぐと、ルーキー年の84年7月14日の大洋(現DeNA)戦のプロ初打席で二塁打。プロデビューを飾った。同月20日のジュニアオールスターでも4打数4安打。9月23日には首位・広島との直接対決で、0対1の8回に大エース北別府学からプロ1号となる同点弾を放った。

 プロの舞台にもオーラをまとって現れた藤王だったが、輝きは続かず中日から日本ハムへ。プロ通算の本塁打は10本に終わった。
(構成 浅古正則)

※学校名、選手名、役職などは当時。敬称略 

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