元関脇・逆鉾の井筒親方が死去、58歳 史上初の3兄弟関取「もろ差し名人」

[ 2019年9月17日 05:30 ]

井筒親方の早すぎる死に角界に衝撃が走った
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 大相撲の元関脇・逆鉾で、もろ差しの名人として知られた井筒親方が死去したことが16日、関係者への取材で分かった。58歳だった。鹿児島県出身。最近はすい臓を患っており、8月からは東京都内の病院に入院していた。今場所は初日から休場していた。

 現役時代は父で先代井筒親方(元関脇・鶴ケ嶺)譲りのもろ差しからの速攻を武器に、横綱・千代の富士を苦しめるなど活躍した。87年九州場所から89年春場所まで9場所連続関脇を務め、人気力士の一人だった。弟の元関脇・寺尾、兄の元十両・鶴嶺山とともに“井筒3兄弟”と呼ばれ、史上初の3兄弟関取を果たした。

 現役引退後は父の定年に伴い、井筒部屋を継承した。2014年には副理事に就任。審判部副部長などを務めた。16年は選挙で敗れて副理事の職から離れたが、18年は実弟の錣山親方(元関脇・寺尾)らとの選挙を制して副理事に返り咲いた。

 師匠としては、モンゴル出身の鶴竜を横綱にまで育て上げた。7月の名古屋場所で愛弟子の6度目の優勝を見届けたのが最後の雄姿になってしまった。

 ▼日本相撲協会八角理事長(元横綱・北勝海) 残念だ。同じ時代に相撲を取ってきた。若過ぎる。理事会でも、モンゴル出身力士の育成をきちんとしなければいけないと発言されていた。鶴竜を横綱に育てられたことを含め功績は大きい。

 ◇井筒 好昭(いづつ・よしあき=本名・福薗好昭)1961年(昭36)6月18日生まれ、鹿児島県姶良郡加治木町(現姶良市)出身。78年初場所で福薗の四股名で初土俵を踏み、81年名古屋場所で新十両。82年夏場所で逆鉾に改名。同年九州場所で新入幕。84年名古屋場所で新関脇に昇進した。幕内を57場所務め、三賞は殊勲賞5回、技能賞4回。金星は7個獲得した。92年秋場所限りで引退して年寄「春日山」を襲名。父で元関脇・鶴ケ嶺の井筒部屋を継承。横綱・鶴竜らを育てた。

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