尊い命を守るには何をするべきか? NBAウォリアーズのカー監督に見る言葉と行動

[ 2019年6月4日 08:00 ]

銃社会への抗議をこめたTシャツを着て会見に現れたカー監督(AP)
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 【高柳昌弥のスポーツ・イン・USA】1984年1月8日、レバノンのベイルート市内で同市にキャンパスを構えているアメリカン大の学長が後頭部に2発の銃弾を受けて死亡した。享年52。中東情勢の専門家でもある知識人を狙ったイスラム過激派によるテロだった。

 そのとき、18歳の息子は米アリゾナ大のバスケットボール・チームにいたが、ショックに打ちひしがれて何もすることができなかった。しかし多くのイスラム教徒たちが彼を支えた。以来、彼は「多くの善良なムスリム(イスラム教徒)と一部のテロリストは明確に区別しなくてはいけない」という信念を抱き、それは2001年の同時多発テロでも揺らぐことはなかった。

 父を亡くしたバスケ少年はやがてNBAのブルズでマイケル・ジョーダンらとともにファイナル制覇を経験。そして彼は今、NBAファイナルで3連覇を狙っているウォリアーズの指揮官として陣頭指揮を執っている。

 スティーブ・カーは父の年齢を1つ上回る53歳になった。ウォリアーズを優勝に導くことはもっとも大事な仕事だ。その一方で、自分が経験した悲劇を繰り返してほしくないという思いは、言葉と行動という形で世の中に訴え続けている。

 6月2日。ウォリアーズはトロントでのファイナル第2戦を制して1勝1敗とした。カー監督はもちろん試合に関してのコメントを口にしたが、胸に「VOTE FOR OUR LIVES」というメッセージが入ったTシャツを着ていたことが注目を集めた。「自分たちの命のために、銃社会を変えることができる人物に投票しよう」。それは事実上、トランプ大統領に反旗を翻している言葉だが、カー監督の姿勢がぶれることはなかった。

 特別なTシャツを着た理由は5月30日にバージニア州で市の現役職員による銃乱射事件が発生したから。多くの観光客が訪れるリゾート地の市庁舎で、やがて射殺されることになる市の男性職員が銃を乱射し、12人が巻き添えとなって命を落とした。まだ6月だというのに、4人以上の死傷者が出た米国内の乱射事件はこれが今年150件目。負の連鎖を断ち切れない原因を銃社会に求める動きが活発化していた。

 2018年2月14日に元生徒がライフルを乱射し、生徒と職員を併せて17人が死亡したのがフロリダ州のマージョリー・ストーンマン・ダグラス高校。犯人は逮捕されたが、事件後、心的外傷後ストレス障害(PTSD)で2人が自殺するという悲劇も加わった。そして「これではいけない」と立ち上がったのが生徒たち。銃社会撲滅を訴えるデモ行進を企画し、同年3月24日、首都ワシントンDCのほかボストン、ニューヨークなど米国の大都市に数十万人が参加する大規模なデモとなった。このデモは「MARCH FOR OUR LIVES(命のための行進)」と呼ばれ、それに付随する運動がカー監督のTシャツに記されていた「VOTE FOR OUR LIVES」。変革を実現させる第一歩はそれを解決への導くことができるリーダーを選ぶこと。「どんなに事件から距離がある人でも、やるべきこととやれることがある」というメッセージを受け取ったのは私だけではないだろう。

 大リーグ・カブスのアルバート・アルモラJR外野手(25)は5月29日、アストロズ戦の試合中に号泣していた。自身が放ったファウルボールが、三塁側のスタンドで観戦していた少女を直撃。そのショックでその場にうずくまり、チームメートのジェイソン・ヘイワード外野手(29)とジョー・マドン監督(65)、さらに球場を警備していた女性警察官に慰められるという場面があった。「自分は2人の子どもの父親なんだ。わかってほしい」。少女は泣きながら男性に抱えられ、その後、病院に搬送されたが無事。しかし自分の手で子どもを傷つけたという罪悪感をアルモラJRが振り払うには時間がかかった。その沸き起こってきた感情はとてもよく理解できる。無力な子どもに対して、大人はどうあるべきなのか?アルモラJRが立ち上がるまで球審が試合を止めた数分間、スタンドにいた多くの観客はその答えを心の中でつぶやいていたかもしれない。

 日本の川崎で起こった殺傷事件。小学生を巻き込んだ51歳の男の異常な行為そのものと、治安がいいと言われていた国で暮らす人々の動揺する姿は世界のトップニュースとなった。さらに「自分の子どもが同じことをやるかもしれない」と信じた父親が息子を刺殺するという“第二の事件”も起こってしまった。銃社会ではないのに、日本でも形を変えて人の命を身勝手に奪う行為が繰り返されている。今、何かをしないともう戻れないところに来ているのではないか?そんな不安と恐怖がこれ以上、広がっていかないことを祈るばかりだ。

 テロ被害者の遺族でもあるカー監督は、すんなりと立ち直った人間ではない。父マルコム氏を亡くしてから4年後、アリゾナ大のライバルでもあるアリゾナ州立大と敵地で対戦したときには場内から「PLO!(パレスチナ解放機構)」という理不尽なユニゾン・コールが沸き起こり、「なぜベイルートに戻るために海兵隊に志願しないんだ」というヤジも浴びせられた。この言葉を聞いたときカー監督は「父の姿を思い出してしまってね」と試合中に体が震えだし、思わずボールを落としたのだという。アリゾナ州立大の学長はすぐに謝罪したのだが、命の尊さを理解できない悲しい場面だった。

 幼い命を奪われたご遺族にはかける言葉が見つからない。ただ事件に距離がある私にもできることはある。「VOTE FOR OUR LIVES」。わずかに託されているこの1票は、尊い命を守ることができる、あるいは守ろうとする人間に使おうと思う。

 最後にカー監督がアリゾナ州立大戦で演じたパフォーマンスについて述べておく。ボールを落っことして泣き始めたあと彼はどうしたか?そのままロッカールームに逃げて行ってもよかったシチュエーション。しかし彼はコートに踏みとどまった。前半だけで放った6本の3点シュートをすべて成功させて20得点をマーク。歪んだ心の持ち主たちによる配慮を欠いた言葉に対して背中を見せるのではなく、真正面から受け止めて一歩前に足を踏み出している。

 ◆高柳 昌弥(たかやなぎ・まさや)1958年、北九州市出身。上智大卒。ゴルフ、プロ野球、五輪、NFL、NBAなどを担当。NFLスーパーボウルや、マイケル・ジョーダン全盛時のNBAファイナルなどを取材。50歳以上のシニア・バスケの全国大会には8年連続で出場。フルマラソンの自己ベストは4時間16分。今年の北九州マラソンは4時間47分で完走。

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