陸上界の名伯楽 小出義雄さん死去、80歳「あと2、3日だな」「何も悔いはない」

[ 2019年4月25日 05:30 ]

00年シドニー五輪女子マラソンで金メダルを獲得し、小出義雄監督とガッチリと握手を交わす高橋尚子
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 陸上女子長距離の名指導者で、五輪金メダリストの高橋尚子さんらを育てた小出義雄(こいで・よしお)さんが24日午前8時5分、肺炎のため千葉県浦安市の順天堂大浦安病院で死去した。80歳だった。高校の教員を23年間務めた後、実業団の指導者に転身。褒めて伸ばす育成スタイルと「小出マジック」と言われた手腕で、マラソンで92年バルセロナ五輪銀、96年アトランタ五輪銅メダルを獲得した有森裕子さんらを育てた。明るく豪快なキャラクターでも親しまれた。

 平成の時代に数々の名ランナーを育てた陸上界の名伯楽が時代の終わりを見届けるように80年の人生に幕を下ろした。先月10日の名古屋ウィメンズマラソンでは現場に姿を見せていたが、同26日に千葉県佐倉市内の自宅で倒れて入院。一時の危篤状態から今月に入って一度は持ち直した。周囲には「あと2、3日だな」「誕生日は迎えられねえな」とこぼし、15日には80歳の誕生日を迎えた。しかし、24日朝、帰らぬ人となった。

 2015年に米コロラド州ボルダーで合宿中に不整脈で倒れて手術。心臓にはペースメーカーが入っていた。大好きな酒やタバコもやめたが、肝臓や腎臓も悪くし、近年は入退院を繰り返していた。

 自身も順大で箱根駅伝に3度出場したランナーだが、名前を売ったのは指導者になってからだった。千葉県内の高校での教員生活を経て、1988年に実業団のリクルートの監督に就任。有森を五輪2大会連続表彰台に導き、00年シドニー五輪金メダルの高橋らとともに積水化学に移籍した97年は世界選手権で鈴木博美を世界一に導いた。

 シドニー五輪前には標高3500メートルの米ロッキー山脈で高橋と「超高地合宿」を敢行した。「誰もやったことないことをやらないと世界一になれない」。小出氏が体調を崩すほどの薄い酸素の中で、常識にとらわれない挑戦で、金メダルへの道を歩んだ。  有森、鈴木、高橋の3人を三者三様の指導法で育てた。スタミナタイプの有森には定期的に50キロ走を命じ、苦手なスピード練習は控えた。逆にトラックのスピードがある鈴木には長い距離は走らせず、練習量も有森の3分の2に抑えた。有森と鈴木の中間で、スタミナの心配がない高橋の練習は長くても30キロまで。選手の特徴や性格に合わせ、練習内容を柔軟に変え、やる気を引き出す指導方法は「小出マジック」とも称された。

 01年に佐倉アスリート倶楽部を設立し、02年12月に積水化学を退社。04年に創部したユニバーサルエンターテインメント(当時アルゼ)などから指導を委託されていたが、3月末で指導者を勇退していた。家族によると、病床で「俺はやりたいことは全部やった。いい人生だった。何も悔いはない」と話していたという。ひげがトレードマークで、酒好きという自称「駆けっこ好きのおじさん」。完全燃焼の指導者人生だった。

 ◆小出 義雄(こいで・よしお)1939年(昭14)4月15日生まれ、千葉県佐倉市出身。山武農高(現大網高)を出て、一時は家業を継ぐなど働いた後、順大に進み、箱根駅伝に3度出場。卒業後は千葉県で指導者の道に進み、長生高、佐倉高、市船橋高で監督を務めた。86年には市船橋高で全国高校駅伝優勝。リクルート、積水化学女子陸上部の監督を歴任し、01年に佐倉アスリート倶楽部を設立。豊田自動織機、ユニバーサルエンターテインメントなどを指導した。

 ≪弔問客続々≫小出氏の遺体は午後3分8分に佐倉市内の自宅に安置された。自宅には家族が集まり、関係の深かった地元住民ら弔問客が絶えず訪れた。午後7時ごろには、自身が指導した実業団のユニバーサルエンターテインメントの大沢啓悟監督、深山文夫ヘッドコーチらも訪れた。小出氏の教え子で40年以上の関係が続く深山ヘッドコーチは遺体と対面し、「安らかで“これから頑張れよ”と言っているような顔をしていた。遺志を継いで頑張っていきたい」と語った。

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