“小出チルドレン”有森さん涙「未来を見ながら選手を考えてくれる監督が好きだった」

[ 2019年4月25日 05:30 ]

小出義雄氏死去

小出義雄さんとの思い出を語る有森裕子さん(撮影・会津 智海)
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 小出氏の指導の下、92年バルセロナ、96年アトランタ両五輪の女子マラソンで連続メダルを獲得した有森裕子さん(52)は「ああいう体調でよく頑張ったと思う。(自分の)心境は、よく分からない」と話し、時折流れそうになる涙をこらえて報道陣に対応した。

 この日の朝、小出氏の家族から連絡があった。これまで入院などの情報は得ながらも「会いに行くと元気にしちゃう。気を使う人なので、おしかけるのも」と、お見舞いには行かなかったという。最後に会ったのは、先月行われた名古屋ウィメンズのレース前。選手インタビューの会場に入ってきた小出氏は、思い出話をまくし立てながら「難しいなあ、今の選手は」とぼやいたと振り返り「2020年はブツブツ言いながらでも、一緒に五輪のマラソンを見たかった」と話した。

 日体大卒業時まで実績が乏しかった有森さんは、小出氏が当時指導していたリクルートに選手兼マネジャーで採用された。「マラソンを一から監督(小出氏)とやれたというのは、どう考えても幸運。実績がなかったことが最高の武器だったかもしれない」とし、「未来を見ながら選手を考えてくれる監督が好きだった」と師への最大限の感謝を示した。

 最も印象に残っている教えは「せっかく」という言葉。「私が故障すると“有森、なんで?と思うな。せっかくと思え”と。物事には意味のないことなんて、一つもないと。どんなことが起きても“せっかく”と思えたから、どんな故障にも立ち向かえた」と話すと、目にいっぱいの涙が浮かんだ。

 ▼97年世界選手権女子マラソン金メダリスト鈴木博美さん 中学生のときに声を掛けていただいてから、高校、実業団を通じて練習嫌いな私を、諦めることなく、根気強く育てていただきました。今、指導いただいていた頃の監督と同じ年齢になり、どれだけの情熱を持って指導にあたってくださったのかを知り、ただ感謝しかありません。本当にありがとうございました。

 ▼84年ロサンゼルス五輪女子マラソン代表増田明美さん みんなを笑いで包み込んでくれた。あれほど陸上競技が好きな人はいなかったんじゃないか。

 ▼帖佐寛章・順大名誉教授 指導者になりたいと言って高校卒業後、社会人を経て“4浪”で大学に入って来た。パワハラじゃなく、おだてるやり方で日本の女子マラソンここにありという大きな功績を残した。(大学時代の恩師、元日本陸連専務理事)

 ▼桜井孝次・元日本陸連専務理事 長いこと一緒に戦ってきた仲間。選手も個性があったが、監督はもっとあった。(シドニー五輪監督)

 ▼横川浩・日本陸連会長 五輪を来年に控え、女子マラソン界、陸上界のためにご指導いただきたいことがまだまだたくさんありました。

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2019年4月25日のニュース