バドミントン山口茜(1) 小3でガッツポーズを封印した理由

[ 2019年4月17日 10:00 ]

2020THE STORY 飛躍の秘密

シャトルを拾う山口
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 天才少女は、小学3年にしてガッツポーズを封印した――。福井県勝山市で育ったバドミントン女子シングルスの山口茜(21=再春館製薬所)は、1つの敗戦をきっかけに、冷静かつ柔軟なスタイルを確立してきた。20年東京五輪でメダル獲得が期待される山口の小中学校9年間を見守った恩師2人の言葉から、成長の過程に迫る。(大和 弘明)

 福井の山間部に位置する勝山市に、山口の原点がある。兄2人の影響で3歳からラケットを握り、幼稚園時の5歳から本格的にバドミントンを開始。9年間、勝山南部ジュニアで指導した三觜賢(みつはし・さとる)コーチ(49)は第一印象を「よくシャトルが当たるな、と。その年代では、当たる子なんていなかった」と振り返る。

 平泉寺小での6年間は同ジュニアで週2回、同小スポーツ少年団で週2回の練習。さらに週1度、水泳で鍛えた時期もあった。世界を舞台に戦う現在は小柄な選手だが、身長は4年時で既に1メートル50以上あった。冷静な今とは対照的に、力強いスマッシュで押す攻撃的スタイル。主に高学年を教えていた三觜コーチは山口が1年の夏、全国小学生ABC大会で偶然ベンチに入った。指導者の間では「この子は上手。ベスト4以内に入る」と評判だった。三觜コーチは「まさか」と思っていたが、結果はあっさり優勝。その当時から確かな才能を見せていた。

 昔から物事を冷静に分析するのが好きだった。試合中には「僕がしゃべってるところを見ていた。あとから“何をしゃべってたの?”と聞いてきた」と三觜コーチ。保護者やコーチ陣ら大人たちの反省会にもついてきた。学校の宿題のノートを開きながら「勉強していると見せかけて私たちの会話を全部聞いているんです」。不思議な子供だったが、指導者たちは当たり前のように、試合中はガッツポーズや雄叫びで感情を出すことを教え込んだ。  転機が訪れる。3年夏、千葉市で行われた全国ABC大会決勝。空調の影響で予測不能なシャトルの動きに集中を欠き、試合中から号泣。感情をコントロールできずに、栃木県の選手に0―2で完敗した。同大会はその年を除く5年間は優勝。生涯で印象に残る敗北だ。三觜コーチは、試合後の山口の言葉が忘れられない。

 「声を出しても、勝てないものは勝てない。疲れるんだもん」  それ以降、山口からガッツポーズや雄叫びが消えた。三觜コーチが「声を出してよ」と諭しても「絶対、出さなかった」と振り返る。シャイな選手が感情をさらけ出すことで強くなる例はいくらでもあるが、三觜コーチは「あの子の場合は逆。内に秘めているものを見せない」と説明する。自分の性格に正直になる。それが今のスタイルにつながっている。

 ◆山口 茜 (やまぐち・あかね)1997年(平9)6月6日生まれ、福井県勝山市出身の21歳。中3の12年12月に史上最年少で日本代表選出。13年9月のヨネックス・オープン・ジャパンでスーパーシリーズ最年少優勝。勝山高から16年に再春館製薬所入り。16年リオ五輪5位。17年スーパーシリーズ・ファイナル初優勝。18年4月の世界ランクで男女通じて日本人初のシングルス1位となった。1メートル56、55キロ。右利き。血液型A。

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