内田裕也さん最後の食事はオムライス ハンバーグ、ステーキ…入院後も体力回復あきらめず“好物作戦”

[ 2019年3月19日 05:30 ]

内田裕也さん
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 肺炎のため17日に79歳で死去したロック歌手の内田裕也(うちだ・ゆうや、本名内田雄也)さんが「ハンバーグ」「ステーキ」「寿司」「オムライス」の“好物作戦”で病と闘っていたことが分かった。体力回復へロックンローラーの意地を見せていた。一方、独特な家族の形を支えた娘婿の本木雅弘(53)は「岳父として紳士的に接してくれた」とコメントを寄せ、喪失感をにじませた。葬儀は近親者のみの家族葬で営まれる。

 破天荒なロックンロール人生で、時に周囲に迷惑をかけながらも裕也さんはファンを魅了し続けた。残念ながら力尽きてしまったが、再びステージに立てる日を信じて懸命に病と闘った。

 関係者によれば、裕也さんが悪寒を訴え高熱を発したのが1月15日。誤嚥(えん)性肺炎が疑われ、治療を始めたが、病状は一進一退。2月中旬には体力が落ち、同20日に都内病院に救急車で搬送されて入院した。

 その後は小康状態が続いたが、食は細り、体重も次第に減っていった。娘でエッセイストの内田也哉子さん(43)や関係者が医師と相談し、点滴や管から栄養を補給するのではなく、何とか口から取らせたいと“好物”作戦を考案。「ハンバーグ」「ステーキ」「寿司」の順で、裕也さんが好んだメニューを用意した。

 一口二口しか食べられない日もあったが16日は「オムライス」を3分の1ほど平らげた。これが最後の夕食となってしまったが、体力を戻そうと裕也さんはロックンローラーの意地と誇りでスプーンを口に運んだ。

 妻で女優だった樹木希林さん(享年75)が昨年9月に亡くなって半年後の死。先立たれた喪失感はことのほか大きかった。そんな中で裕也さんが生きがいを見いだしたのが、孫の成長だった。米国の大学に通う孫で女優の伽羅(きゃら、19)が16日に帰国することを前日の15日に也哉子さんから伝えられると裕也さんは何度も「16日だな」と反すう。空港からの足で伽羅が見舞った時は思いっきり表情を緩めたという。

 好きなオムライスも食べ、そして伽羅にも再会して「幸せな最期だった」と関係者は信じている。容体が安定していたため、夜に家族も病室を後にしたが、急変したのは17日の未明とみられる。そのため誰も臨終に立ち会えなかったが、強がりだった裕也さんらしい最期かもしれない。

 遺体は東京都渋谷区の自宅マンションのリビングに安置された。今にも起き出してきそうな穏やかな顔。棺の上には愛用のステッキが置かれた。和田アキ子(68)らからの生花が供えられ崔洋一監督(69)やカイキゲッショクのHIRO(51)らが弔問。也哉子さんと長男でファッションモデルとして活躍するUTA(21)が気丈に応対していた。そのUTAは仕事のため、家族葬には出席せず、19日に祖父の期待を背負ってロンドンに出発する。

 ◆内田 裕也(うちだ・ゆうや)1939年(昭14)11月17日生まれ、兵庫県出身。神戸のジャズ喫茶でならし、エルビス・プレスリーに憧れて上京。58年にブルージーン・バップスを結成し59年にデビュー。渡辺プロ退社後の67年からヨーロッパを1年あまり放浪。帰国後、日本ロックの振興に大きく貢献した。阪神大震災、東日本大震災発生後はいち早く被災地に入り、ジョー山中さんや安岡力也さんら“ファミリー”を引き連れ炊き出しなどを行った。

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