【柳沢慎吾のひとり甲子園“再現動画”】「六輪の花」56年、滑川がチアのルーツ

[ 2018年7月26日 09:00 ]

チアガールになりきる柳沢慎吾(撮影・会津 智海)
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 ブラスバンドとともに欠かせないのがチアガール。アルプススタンドの華だよ。夏22回の出場を誇る福井商(福井)のチアリーダー部「JETS」なんて、世界一って言われてる。全米チアダンス選手権で5度の優勝を果たし、映画「チア☆ダン」のモデルにもなった。最近ドラマ化もされて話題を呼んでるよね。

 実は甲子園のチアガールのルーツは同じ北陸にあるんだよ。1956年に初出場した滑川(富山)。男子応援団しかなかった時代に、1年生3人、2年生2人、3年生1人の女子生徒6人で女子応援団を結成した。おそろいの白い帽子に紺色シャツに白いスカート、衣装はすべてミシンで手作り。「六輪の花」と呼ばれて話題になったんだよ。

 その中で一番の重要人物は石倉京子さん(※文末の動画参照)。知ってる?本当に凄い人なんだよ。この人がいないと、今のアルプス席はモノクロだね。滑川の甲子園出場が決まり、生徒会で応援団をつくることが決まった。そこで3年生の石倉さんが走り回って結成にこぎ着けたんだ。

 最初は友達に声をかけても「お嫁にいけなくなる」「家の人に怒られた」「恥ずかしいから」と断られたそうだよ。「肌が焼けるのやだ〜」なんて言った生徒もいたかもしれない。そこは必死に「お願い、○○ちゃん、一緒にやろう!わたし頑張るから」と頼んで、頼んで、頼み込んで形にしたんだろうね。熱意だよ、熱意。石倉さん、偉いよ!

 地方大会では「めろ(女)のくせにでしゃばんな!」っておにぎりをぶつけられたこともあったって。そんな時代に体を張って頑張った。すべて見よう見まねだから振り付けは運動会の応援がベース。扇子や旗を手に持って応援の王道である豪快な三、三、七拍子。甲子園では「何?あの人たち」ってポカンとするファンもいただろうね。

 試合は2回戦で平安(現・龍谷大平安、京都)に0―1で敗れたけど、「アサヒグラフ」の表紙を飾ったり、甲子園で球児以上に脚光を集めた。校内や、近くの高校からもファンレターがわんさか届いたそうだよ。そりゃ、元祖チアガールがモテないわけないよ。

 チアガールとは一味違うけど、最近、山梨学院(山梨)の女子応援団が注目を集めてるよね。紅白の矢絣(やがすり)着物に紫色の袴(はかま)で、頭には必勝鉢巻き。動きは丸っきり男子応援団と一緒で、白手袋の拳を一生懸命突き出している。大正ロマンを思い起こすような、あの姿。これから、どんな伝統になっていくか楽しみだね。

 ▼石倉京子さん(当時3年、80)尻込みする生徒もいましたけど何とか女子応援団をつくりました。私は元々おてんばだったんですよ。布を買ってきてユニホームを作ったのもいい思い出。今は女性も前に出る時代。決断力や積極性が評価されるのはうれしいですね。

 ▼西田昭美さん(当時1年、79)最初のチアガールということで、取り上げてもらえるのは、やはりうれしいですね。今のチアはダンスも上手ですけど、私らはできなかったので扇子や旗を振ってました。とにかく昔の甲子園も暑かったことを覚えています。かち割りを食べながら応援してました。

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