日本航空石川 恩返しの全力プレー 帽子に書いた「石川県のために」 笑顔と勇気届けた

[ 2024年3月26日 05:00 ]

第96回選抜高校野球大会第6日   日本航空石川0―1常総学院 ( 2024年3月25日    甲子園 )

<日本航空石川・常総学院>力投する日本航空石川・猶明(撮影・北條 貴史)
Photo By スポニチ

 32校最後の出場となった一戦は、日本航空石川(石川)が常総学院(茨城)に0―1で敗れた。

 日本航空石川は、0―1の8回2死満塁のピンチで福森誠也(3年)が伝令役としてマウンドに向かった。ベンチ入り20人中唯一の石川出身の選手だ。元日は輪島市で被災し、家は崩れ、祖母を背負って避難した。その福森が満面の笑みで輪に加わってナインに伝えた。「帽子を見よう」。全選手の帽子のつばに書いてあるのは「石川県のために」――。気持ちを一つに、この場面を無失点で切り抜けるなど、最後まで笑顔で戦う姿を能登に届けた。

 1月中旬に被災地を離れ、山梨で練習を続けてきた。避難先での練習再開前、中村隆監督と選手間で決めた約束がある。「被災した子に優しく接しすぎるのもダメだと思う。いつも通り接してあげよう」。避難所生活から山梨入りした福森は、部員との交流を通して笑顔を取り戻した。

 山梨では選手と監督で10回以上ミーティングをし、チームの結束力を高めるために話し合いを重ねた。それが、ある一日だけ話し合いの議題が「帽子のつばに何を書くか」に変わった。部員で意見を出し合い「笑顔 感謝 恩返し」、そして「石川県のために」と書き加えることにした。

 2月下旬には宝田(ほうだ)一慧主将が輪島市役所を表敬訪問。すると市内の至る所に「頑張れ!日本航空石川」と書かれた垂れ幕が飾られていた。宝田は、撮影した写真を部のグループLINEに送信。懸命に野球に取り組む姿は、確かに能登に届いていたのだ。

 試合は両チーム無失策の好ゲームも、勝利に一歩届かなかった。中村監督は涙で言葉を詰まらせた。「選手は、いろいろな人のために頑張ることを身に付けられたと思います」。白星につながらなくとも、石川を代表して戦った球児の笑顔は、きらきらと輝いていた。(河合 洋介)

 ○…福森の祖母・舞子さんは一塁側アルプス席で応援。「思い残すこともないくらいにうれしいです。よく頑張ってここまで来てくれました」と感慨を込めた。能登半島地震で家が崩れ、がれきの下敷きになっていたところを福森が助け出した。昨秋のベンチ外から今春選抜で初めてベンチ入り。登板機会はなかったが伝令で役目を果たした。また、この日は日本航空石川の系列校や近江(滋賀)のブラスバンドなどが協力し、約2400人の応援団が結成された。アルプス席では同校OBのロッテ・角中も観戦していた。

続きを表示

「始球式」特集記事

「落合博満」特集記事

2024年3月26日のニュース