石垣島から再び甲子園へ 新生「八重山ポニーズ」友利監督の挑戦

[ 2022年4月14日 20:05 ]

選手に指示を与える八重山ポニーズの友利真二郎監督(背番号30)
Photo By スポニチ

 中学硬式野球のポニーリーグは3月26日から沖縄県内各地で3日間にわたり、第6回全日本選抜中学硬式野球大会を開催した。全国各地から23チームが参加。沖縄連盟からは7年間の休部を経て、昨年1月に本格的な活動を再開した八重山ポニーズが初出場を果たした。OBで監督を務める友利真二郎氏は、八重山商工の主将として06年春夏の甲子園に連続出場。「石垣島から再び甲子園へ」の思いを背に、新生チームを発足させた。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 大健闘の末、あと一歩及ばなかった。初戦の館林慶友戦は最大6点リードしながら逆転サヨナラ負け。最後は降雨による6回コールドゲームとなったが、友利監督は審判員からの申し出を承諾した。

 「最後まで戦いたい思いはありましたが、グラウンドがあそこまで悪くなると選手にとっても負担が大きい。悔しい思いもありましたが、最後は相手チームを称えて試合を終えました」

 現在の部員は8人。大会には沖縄ダイヤモンドから助っ人3人のアシストを得ての出場だった。公式戦初勝利こそならなかったが、交流戦も含めると全国の舞台で2試合を経験。大会後、選手たちから「監督、勝ちたいんで、ビシバシ練習やっていきましょう」の声が上がったのは、大きな収穫だった。

 20年5月。再結成のきっかけは、高校時代の友人からの一言だった。「八重山ポニーズを復活させてくれないか?」。石垣島には10以上の少年野球チームがありレベルも高いが、中学へ進学してからの硬式野球の受け皿がどこにもなかった。

 「少年野球の熱が冷めるとでも言うんでしょうか。中学では野球をやめてしまう子も多くて。これでは、ダメだ、と」

 チームの創設者でもあり、中、高の恩師である伊志嶺吉盛氏に相談すると、間髪いれずに「絶対にやれ!」と背中を押された。2カ月後の同年7月。後に新生ポニーズの初代キャプテンを務める猪俣恵臣と友利監督の、たった2人による練習が新たな幕開けとなった。

 「もう一度、八重山を強くしたい。甲子園は素晴らしい場所だった。そこを体験できる選手を育てたい」

 長く遠ざかっていた野球との縁がつながったのは、その一心だった。八重山ポニーズに所属していた中学2年時にアジア太平洋予選を勝ち抜き、世界3位に入賞。チームメートにはいずれも八重山商工に進んだ大嶺祐太(中日)、金城長靖(沖縄電力)らがいた。同校では主将を務め、3年春夏の甲子園に連続出場。全5試合で「1番捕手」として起用されると、20打数8安打4打点でチームを引っ張り、夏は3回戦まで進んだ。社会人野球のビッグ開発ベースボールクラブで2年間プレーした後に現役引退。石垣島に戻ってからは野球とかかわることなく、気づけば10年以上の歳月が過ぎていた。

 「僕らの頃とは時代も違います。押しつけるだけではダメ。時にはしかることもあるけれど、しかり方もふくめて、分からないことばかりです。選手たちとともに成長していきたいと考えています」

 だからいま、自らの経験則を押しつけるような指導方は由としない。しかり方が分からなければ、近隣の中学に出向き見学させてもらうこともある。土日祝日だけでなく、平日も白球と向き合う日々。常に向上心を持ち続ける姿勢を自ら示すことで、選手たちの成長を導いている。

 夢よ再び――。石垣島、いや、甲子園に新たな歴史の1ページを書き加えた張本人が描くサクセスストリーを、今後も注目していきたい。

続きを表示

2022年4月14日のニュース