阪神育成1位・伊藤の原点は小学生の頃に見た「強竜」浅尾、岩瀬の鉄壁リレーに憧れ中継ぎ志望

[ 2021年12月12日 05:30 ]

中学3年時にスポニチ杯を制した伊藤稜(家族提供)

 【阪神新人連載「猛虎新時代の鼓動」育成1位・伊藤】

 小学生の頃に見た「強竜」が稜の原点だった。自宅はナゴヤドームから電車で約40分の愛知県豊明市。愛犬に「竜」と名付けるほど一家そろって中日ファンで、小学生の頃は月に1度のペースで球場で観戦に出かけた。そこで目の当たりにした光景が救援を志すきっかけとなった。

 「岩瀬さんがいて、浅尾さんもいて、7回までリードしていれば勝ち試合。1点勝っていれば、大丈夫とファンに安心感を与えていた。中継ぎ志望なのはそれを見て憧れたから。リリーフでピシャリと抑えるのが理想」

 落合博満監督が率いた当時の中日は岩瀬仁紀や浅尾拓也ら強力な救援陣を擁し、黄金時代を築いていた。特に同じ左腕の岩瀬には強い憧れを抱き、背番号13のユニホームも持っていた。

 高校時代にソフトボールでインターハイ出場経験のある父・勉さんに連れられ、幼稚園の頃から近所でキャッチボール。小学校に入学すると、兄・大登さんとともにホーメー少年野球クラブに入団し、本格的に野球を始めた。中学時代は東海ボーイズで全国制覇。「昔からずっと入りたかった」と地元の名門校、中京大中京に進学した。

 念願の甲子園のマウンドに立ったのは3年夏だ。広陵との1回戦に6回途中から3番手で登板して2回1/3を7失点。中村奨成(現広島)らに計2本塁打を浴びた。「上のレベルでやるには緊迫した場面を抑えないと…」。苦い経験を糧に中京大へ進学。順調に登板を重ねてレベルアップに励んでいたが、3年時に肩を痛めた。

 この故障が結果的にプロ入りにつながった。「けがをして良かったと思えるように」とウエートトレーニングを本格的にスタート。さらに、大学入学後は下宿生活だったが、授業が減ったこともあり3年時から自宅通いに戻した。

 プロ入りを意識し、勉さんや母・寿子さんに「体をつくるから食事をサポートしてほしい」と依頼。寿子さんを中心に3食バランスを心がけた食事を用意してもらい、体重は76キロから約10キロ増量。勉さんも「食が太い方でなかったのにすごい勢いで食べていた」と当時を回想する。トレーニング、食事の効果で故障が癒えた4年春には自己最速150キロをマークするほど成長。育成ながらドラフト指名を勝ち取った。

 「稜」という名は山好きの勉さんが「雄大な山のように」と思いを込め、稜線(りょうせん)にちなんで名付けられた。「まず2軍で結果を出すことが支配下につながる」。麓からのスタートでもこつこつと登り続け、プロ野球という山の頂に立つ。=終わり=

 ◇伊藤 稜(いとう・りょう)1999年(平11)11月8日生まれ、愛知県出身の22歳。ホーメー少年野球クラブで野球を始め、栄中では東海ボーイズに所属し、3年時に全国優勝。中京大中京では1、3年夏に甲子園出場。中京大進学後は1年春からベンチ入り。1メートル78、86キロ。左投げ左打ち。

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