ヤクルト・高津監督 弔辞でノムさんに日本一報告&宣言「新しいスワローズウエー伝える」

[ 2021年12月12日 05:30 ]

野村克也氏をしのぶ会 ( 2021年12月11日    神宮 )

弔辞を述べる高津監督 (撮影・白鳥 佳樹)
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 ヤクルト・高津監督は弔辞で野村氏に20年ぶり日本一を報告した後、力強く誓った。「私の役目は野村野球を継承すること、残すこと。そしてそれに新しいものを加え“スワローズウエー”を伝えていくことではないかと思っています」と前を見た。

 2年連続最下位からの下克上。「研究する、勉強する、予習する、復習する。嫌というほど習ってきた」と現役時代に叩き込まれたID野球と、自身が念頭に置く「選手がのびのび思い切ってプレーできる野球」をミックス。「絶対大丈夫」を代表とする言葉の力で士気を上げて導いた。

 9年連続Bクラスだったチームの指揮を90年から託され、9年間で4度のリーグ優勝、3度の日本一を達成した野村氏。最後に会った昨年1月の球団OB会では「頭を使え。頭を使えば勝てる。最下位なんだから好きなように思い切って」と背中を押された。「野村野球、考える野球の遺伝子は生き続けています」と感謝した。

 抑えだった現役時代のことだ。優勝争い佳境の9月に、同点の9回から12回まで続投した。野村氏には「高津、もう少しだ頑張れ。明日は投げさせないから」と声を掛けられた。何とか抑えて勝利したのだが、翌日も8回から登板させられ2イニングを投げた。「監督の手のひらで転がされていた。ただ不思議と嫌な感じはしなかった」。選手を突き動かす見えざる力も両監督の共通点か。もっとも高津流はより徹底したチームマネジメントで登板間隔を管理し、年間通して先発や救援陣のパフォーマンスを引き出した。「もし同じ場面でも、私は(抑えの)マクガフに同じことは言いません」とユーモアも交えて振り返った。

 野村氏が率いた92、93年以来のリーグ連覇、そして球団初の2年連続日本一へ。「そこを狙って、全力で戦っていきたい」。感謝を胸に新たなヤクルトの道をつくりあげ、天国の恩師にも示していく。(青森 正宣)

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