西武・呉念庭 偉大な父と毎試合LINE 的確な助言を胸に…チームに欠かせない存在に

[ 2021年12月12日 09:00 ]

西武呉念庭と台湾野球の英雄である父・呉復連氏のある日のLINEでのやり取り(呉念庭提供)
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 西武は今季、所沢移転初年度の79年以来、42年ぶりの最下位に沈んだ。しかし、主力の相次ぐ故障離脱は近年には見られなかった若手の台頭を生んだ。その中の一人が台湾出身の6年目・呉念庭(ウー・ネンティン)だ。3月31日の日本ハム戦。前日の試合で負傷したため出場選手登録を抹消された山川に代わって「8番・一塁」でスタメン出場すると、5回にドラフト1位の伊藤からプロ初本塁打。前半戦は4割を超える驚異の得点圏打率で、4番に座ることもあり、何度もチームを救った。

 親しみを込め、チームメートから下の名前で「ネンティン」と呼ばれる男を陰ながら支えたのが、バルセロナ五輪銀メダリストで、台湾プロ野球界の英雄でもある父・呉復連(ウー・フーリエン)氏だ。昨オフは、新型コロナウイルス感染拡大により、渡航時に隔離期間を要するのを承知で台湾に帰郷し、自主トレでサポートしてもらった。シーズン中も2軍時代から続く、LINEでのアドバイスが毎試合続いた。写真はある日の親子のやり取りだ。

 「息子へ お疲れ様。この2日間で身体は休めたかな。しっかり練習して、自分の悪いところを反省しながら次のカードに挑もう。各チームも研究をしてきているはずだ。しっかり対策を練っていこう。プレッシャーもある中だけど、試合の中では楽しんでいこう。頑張れ」「分かりました」。

 息子は「父からは毎試合ごとに反省点を教えてもらっている。どういう心境で打席に立ったんだとか。監督目線で分析してくれます」と父への感謝を口にする。

 元々、台湾にいた時から日本のプロ野球は身近なものだった。テレビ中継はもちろん、少年たちを熱狂させたのが「プロ野球スピリッツ」や「実況パワフルプロ野球」などの野球ゲームだ。「みんなやっていましたね。ゲームから関心を持って。昔、台湾人がいたチームなのでライオンズを使っていました」。そう言うと、ネンティンは懐かしそうに「1番・小関、2番・高木、3番・中島、4番・カブレラ、5番・フェルナンデス、6番・GG佐藤…」と当時のメンバーをスラスラと暗唱。「入団して皆さんに会ったときに“昔よく使いましたよ”ってあいさつしたんですよ」と、ちゃめっ気たっぷりに笑った。

 岡山の共生高に入学した際、最初の3カ月はホームシックにかかった。「言葉が全然分からなくて…。でも野球をしている時は楽しかった。野球用語は通じるので」。あれから干支が一回りし、日本で立派な青年になったネンティンは、偉大な父のアドバイスを胸に、チームに欠かせない存在となった。(記者コラム・花里 雄太)

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