【惜別球人】日本ハム・浦野 どん底を救った妻の激励

[ 2020年12月30日 05:30 ]

引退試合で、上沢(左)から花束を渡され感極まる浦野
Photo By スポニチ

 20代の若手も、40代の大ベテランも、現役を終えた後、さらに長い人生が待っている。今年は上下2回で掲載する年末恒例「惜別球人」の第2回は、パ・リーグ編。グラウンドで発揮したそれぞれの個性を生かすべく、新たな道へ踏み出す。

 波瀾(はらん)万丈の7年間。「“やれる”というのは誰もが思うけど、プロは“やらなければいけない”ところ」。浦野は自身の信条に従いユニホームを脱ぐ覚悟を固めた。

 19年は1軍で25試合に登板も結果を残せず、戦力になれていないと悟った。球場に向かう車中、自宅のソファ。一人の時間になると、引退が脳裏をよぎった。1年間考え、妻に打ち明けたのは今年10月中旬。妻が外出先から帰ると「引退しようと思う」と伝えた。妻は涙を浮かべたが、最後は決断を尊重してくれた。

 16年は右肩の骨が壊死(えし)するインピンジメント(関節衝突)を発症。先が見えず、野球が嫌いになった。リハビリも思うように進まず、毎日いらだった。同年はチームが日本一に輝くも「自分のことで精いっぱい。申し訳ないけど、試合は一切見なかった」。妻の支えがなければリハビリを乗り越えられなかった。「必ず治る。もっと頑張りな」。時には尻を叩いて激励してくれた。18年には一時守護神も務めるなど完全復活。「本当に感謝している」と頭を下げた。

 10月31日の引退試合。16年にともにリハビリに励んだ上沢から花束を渡され、2人で号泣した。来季から打撃投手としてチームを支える浦野は、エースに「一年でも長く、チームの顔として頑張って」と思いを託した。(東尾 洋樹)

 ◆浦野 博司(うらの・ひろし)1989年(平元)7月22日生まれ、静岡県出身の31歳。浜松工時代は甲子園出場なし。愛知学院大、セガサミーを経て13年ドラフト2位で日本ハム入団。1メートル79、70キロ。右投げ右打ち。

続きを表示

2020年12月30日のニュース