【藤川球児物語(47)最終回】これまでも これからも 「誰かの力に」 進退悩む後輩に道しるべ

[ 2020年12月30日 10:00 ]

11月10日、引退セレモニーでスタンドのファンに手を振り、笑顔でグラウンドを一周する藤川球児(代表撮影)
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 今季限りで現役引退した藤川球児氏(40)の野球人生を、スポニチの取材とともにたどった『藤川球児物語』も47回目の今回で最後となった。連載中も自身のツイッターで感想を寄せていた藤川氏は「感謝しかないです。これで自信を持って次のスタートを歩めることができます」と本紙にメッセージを寄せた。

 11月10日の甲子園での引退試合2日前のことだった。藤川球児は1本の電話を入れていた。「甲子園に見に来ないか。入場券は用意したから」。相手は6歳年下の玉置隆。当日、玉置は勤務地の茨城から駆けつけた。

 市立和歌山商(現市立和歌山)から04年ドラフト9巡目で阪神入団。11年間、投手としてプレーしたが故障に苦しみ、1軍出場は通算20試合のみ。戦力外通告を受けた15年オフ、社会人野球から声がかかった。「正直なところ、もう野球はいいかなと思っていた。関西を出て新しいところでやる踏ん切りはつかなかった」。迷いながらも、自主トレを一緒にしたこともある藤川に相談した。

 大阪の串カツ店での藤川の言葉が忘れられない。「何で悩んでいるのかオレには分からない」。そして続けた。「野球がやりたいんだろ。絶対に行け。何億で野球をやろうが、何百万で野球をやろうが、野球は一緒。やってこい」。この年、藤川はレンジャーズを自由契約になり、独立リーグの高知で年俸なしでプレーしていた。説得力ある言葉だった。

 これで新たな野球人生に出合うことができた。新日鉄住金鹿島(現日本製鉄鹿島)でプレーをはじめた玉置は地元の応援、職場の期待、そして家族の支えに対し、野球と仕事を両立させることで応えた。都市対抗には4年連続出場。自身最後の大会となった19年の日本選手権では4強入りを果たした。

 「格好いい生き方をしているな」。LINEに送られてきたメッセージが苦しいときも支えになった。現役引退を決めた日本選手権の際に、藤川は大阪市内で慰労会を開き、激励した。知名度や実績は関係なく、手をさしのべるべき時には動く。これも藤川の生き方だ。「誰かの背中を押すことができれば。誰かの力になれれば」。その思いで「火の玉」を投げ続けた野球人生。背中を押されたのは玉置だけではない。

 引退試合で藤川は全力投球を見せた。巨人・坂本勇人を空振り三振に取るなど、最速149キロを計測した。「憧れていた人が憧れた姿のままで引退する。最後まで輝いていたのに感動しました」。心を震わせた玉置に「これからは友達としてよろしく」と藤川はメッセージを送っていた。

 日米合わせ61勝、245セーブ、164ホールド。数多くの勝利に貢献した。藤川球児はこれからも誰かの力になっていく。ストーリーはまだ続いていく。 =敬称略= =終わり=

 【藤川球児氏からのメッセージ】
 スポニチさんを通して自分のことを伝えられたと思います。ファンの方々、そして自分自身も含めて長期にわたり連載をしていただいたことには本当に感謝しています。感謝しかないです。これまでのことを年内で書いていただいたことで、自信を持って次のスタートを歩めることができます。今後もタイガースのことなどでお世話になると思いますので、よろしくお願いいたします。

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2020年12月30日のニュース