【惜別球人】ロッテ・細川 “捕手一筋”監督でも変わらず

[ 2020年12月30日 05:30 ]

熊本を拠点とする球団の監督に就任する細川。指導者としても「捕手・細川」で経験を伝えていく
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 20代の若手も、40代の大ベテランも、現役を終えた後、さらに長い人生が待っている。今年は上下2回で掲載する年末恒例「惜別球人」の第2回は、パ・リーグ編。グラウンドで発揮したそれぞれの個性を生かすべく、新たな道へ踏み出す。

 引退してすぐ、「監督」と呼ばれるようになった。「まだ全然慣れてませんよ」と細川は笑う。熊本県を拠点とする独立リーグの新球団「火の国サラマンダーズ」の監督に就任。来春から大分の球団や自身の古巣ソフトバンクの3軍などと対戦する。「引退後はボケーッとしようと思っていた」。大好きな釣りざんまいの日々を思い描いていたが、再びユニホームに袖を通す。

 捕手一筋、4球団で19年間のプロ野球人生。10月上旬、ロッテはコロナ禍に見舞われ、2軍は選手の数が足りずに試合ができない期間が続いた。「その時に今までの自分を見つめ直した。野球ができないというのは寂しいことなんだって…」。40歳の秋。引退が頭をよぎった瞬間だった。

 「僕は先輩や指導者の方々、本当にいい人たちに恵まれた」。最大の恩師が西武時代の先輩、監督である中日・伊東勤ヘッドコーチ。引退試合となった11月9日の日本ハム戦では千葉まで駆けつけてくれた。「何か一つでも伊東さんの数字を超えたかった。バントしかないと思っていたけど…」。細川の通算296犠打はプロ野球歴代8位で伊東ヘッドは同4位の305犠打。これだけが心残りだ。

 指導者としての新たなスタート。「一人でも多くの選手をNPBに送り込みたい。監督でも今まで通り“捕手・細川”で。プロで経験した厳しさを伝えたい」。捕手一筋。その姿はずっと変わらない。(鈴木 勝巳)

 ◆細川 亨(ほそかわ・とおる)1980年(昭55)1月4日生まれ、青森県出身の40歳。青森北2年で内野から捕手に転向。青森大を経て01年自由獲得枠で西武に入団。08、11年にベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。1メートル83、103キロ。右投げ右打ち。

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2020年12月30日のニュース