【藤川球児物語(35)】「申し訳ないです」 10年矢野引退試合で痛恨被弾

[ 2020年12月18日 10:00 ]

<矢野引退セレモニー>引退試合を勝利で飾れず、藤川(左)は矢野燿大と申し訳なさそうに握手(撮影・大森寛明)
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 WBCで連覇を経験した09年シーズン、監督・真弓明信が率いるチームは4位に低迷。藤川球児の登板も前年の63試合から49試合に。防御率も0・67から1・25に落ちた。「近年では一番消化不良なシーズンだった」と自身で総括した。

 このオフ、赤星憲広が引退、今岡誠も阪神を退団することが決まった。05年のV戦士たちが次第に消えていく流れになっていた。10年は寅年の平成22年。「僕の年にしなければならない。長く野球をするより、成績を出したい」の思いを強くしていた。チームにはメジャーから復帰した城島健司も加入した。

 出足は良かった。開幕から16試合連続無失点。4月29日のヤクルト戦(神宮)では1点差の9回に登板。味方の拙守でいきなり無死三塁を背負った。「逆境で苦しいけど、逆に楽しめた」と藤川らしさを発揮した。川本良平を遊ゴロ、代打・デントナを空振り三振、田中浩康は右飛。直球勝負で勝利に導いた。

 ペナントレースは阪神、巨人、中日の三つどもえの展開となった。終盤を迎えた9月2日、1本の電話がかかってきた。「お世話になったな。お前の球を受けることができて良かった」。最も多くバッテリーを組んだ矢野燿大(10年から改名)からの引退報告だった。

 引退試合は甲子園最終戦の9月30日に決まった。この時、阪神は2位ながら残り7試合でM7としていた。花道より勝利が優先される厳しい状況だった。2点リードの9回に藤川は矢野の登場曲とともに登板した。9回2死から矢野がマスクをかぶる予定だった。しかし、連続四球でピンチを作り、村田修一に投じた149キロは逆転3ランとなった。「力がないだけ。矢野さんに申し訳ないです」

 矢野の出番が消えるとともに、阪神の自力優勝の可能性が消滅し、マジックは中日に移った。苦い記憶の試合だった。だからこそ、今年の自身の引退試合で、藤川は締めくくりの1球を矢野のミット目指して投げた。「どうしても、それはやりたかった」。10年分の思いを込めたラスト1球だった。 =敬称略=

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2020年12月18日のニュース