【阪神新人連載】佐藤蓮 恩師との出会いが転機 屈辱を力に「気弱な男」顔つきが変わった

[ 2020年12月18日 11:00 ]

牙を研ぐルーキー2020 3位・佐藤蓮投手(下)

飛龍高時代の佐藤蓮(家族提供)
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 飛龍高の監督を務めていた浜野洋氏(現浜松開誠館野球部長)は、自身も中学時代に所属していた「三島シニア」で存在感を放つ蓮に注目していた。

 「体が人一倍でかくて、力でねじ伏せるような投球をしていた。粗削りでしたが、未完の大器として将来を期待できるなと思っていました」。浜野氏は熱心に誘い、蓮は飛龍高に進学した。

 既に1メートル80を超えていた巨体から投じられるボールには魅力が詰まっていたが、投手としての最大の弱点が、性格の優しさだと浜野氏は明かす。「投手として気が弱くて。とにかく場慣れさせる必要があった」。殻を破らせるための荒療治で「今では笑い話ですけど、あいつで3大会くらいつぶしました」と当時を振り返る。

 転機は2年夏、新チーム発足直後の三重遠征だった。いなべ総合との試合でストライクが入らず、試合を壊した蓮に浜野氏は静岡へ電車で帰るよう指示。この屈辱が効果てきめんだった。「あれ以来ニヤニヤしなくなり、顔つきが変わりました」。最速142キロの直球を武器に、3年春はエースとして背番号1を勝ち取った。肘の靭(じん)帯の状態を考慮され最後の夏は一塁手として終え、目標としていた甲子園には届かず。投手としてさらなる飛躍を期し、過酷な練習で有名な上武大への進学を決断する。

 上武大では1年冬に右肘を手術するなどけがに悩まされ、4年春まで公式戦での登板はゼロ。それでも来たるべき時に備え、虎視たんたんと己の力を磨いた。大学進学後も連絡を取り合っていた浜野氏は「投球モーションに無駄な動作がなくなっていたので『いいやん』と。後、飛龍の時は意図的に声を出して投げさせると全くコントロールがきかなかったが、上武の時は自然と声出して投げるようになっていてびっくりしました」とかつての教え子の成長を実感していた。そして今年8月下旬に登板したロッテ2軍との練習試合で自己最速の155キロを計測、一躍ドラフト候補に浮上。秋季リーグでは胴上げ投手になり、上位指名をつかみ取った。

 ドラフト指名された当日、取材対応で忙しい合間を縫って蓮は両親に電話をかけた。ベンチ入りするだけで静岡から群馬に駆けつけていた両親へ、感謝を告げる報告だった。「『高校では甲子園に連れて行ってあげられなかったけど、ようやく行けるね』と言われて涙が止まりませんでした」と母の智恵子さんは声を震わせた。「諦めずにやってきてよかった」。憧れだった聖地のマウンドで躍動すべく、蓮の挑戦が始まる。(阪井 日向)

 ◆佐藤 蓮(さとう・れん)1998年(平10)4月11日生まれ、静岡県出身の22歳。長伏小4年から長伏ヴィーナスで野球を始める。中郷西中時代は三島シニアに所属し2年から投手。飛龍では甲子園出場なし。上武大では1年冬に右肘手術などあり4年秋にリーグ戦デビュー。8試合登板で0勝0敗、防御率1・50。1メートル88、101キロ。右投げ右打ち。

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