早実、元バレー全日本選手2世も 人生重なる親子「なんか似てるなあ」

[ 2015年8月15日 07:45 ]

春は背番号1を背負った早実の宮崎廉太

第97回全国高校野球選手権3回戦 早実─東海大甲府

(8月15日 甲子園)
 早実には清宮ジュニア、「やまびこジュニア」こと江上マネのほかにもまだ「2世」がいる。

 2回戦の広島新庄戦で4回に適時三塁打を放った背番号11・宮崎廉太選手(3年)は、元バレーボール全日本、Vリーグ・松下電器のエースアタッカーとして活躍した宮崎謙彦さんの長男だ。父親譲りの1メートル86、76キロと豊かな体格が目を引く。

 1年春からベンチ入りし、3年春には背番号1を背負ったが、調子が上がらず、今甲子園から外野に転向した。

 「調子が上がらなくてストライクも入らない。チームのためと思って、覚悟を決めた」と振り返る。広島新庄戦でスタメン出場を果たし「緊張したけど楽しくやれた」と笑顔を見せた。試合前には父から「思い切りやってきなさい」とエールを送られたといい、同じスポーツマンとして「小さいころから、やるからには1番を目指せとか手を抜くなと言われてきた。メンタル面のアドバイスをいろいろとしてくれた」と感謝する。

 父は、西条(愛媛)から中大を経て、松下電器に入部。中垣内祐一、大竹秀之、青山繁、荻野正二、南克幸、泉川正幸らとともに全日本入りし、男子バレー人気をけん引した。94、98年世界選手権などに出場。抜群の身体能力を誇るスパイカーとして知られたトップ選手だった。02年に現役引退し、東京で社業に専念。「息子が同じバレーの道に進んでいたら、いろいろ言ってしまっていたかも。野球という違うフィールドに進んだから一歩引いて見られている。野球も奥が深いし、見ていておもしろいですね」と語る。

 ひたむきに野球に打ち込む息子の姿に自らの人生が重なる。「僕自身、高校時代(愛媛・西条高)の時、身体能力テストで結果を出して目をつけてもらって、雑誌で2ページの特集をされて人生が開けた。彼も中3の時のボーイズのトライアウトを受ける機会に偶然恵まれて、しかもそこで活躍した。それが早実をめざすきっかけになったんですよね。なんか似てるなあって思うんです」。

 自身は山本隆弘の入団で引き際を決断。「彼も1、2年生の投手に経験をさせてあげたい、と引く(外野に転向)ことを決めたんじゃないかな」と心中をおもんばかった。

 廉太選手は1年のころから鎌ケ谷市の実家を出て、学校の近隣に一人暮らししている。実家住まいだと通学に時間をとられ、睡眠時間が削られてしまうためだ。「一人暮らしをして、だいぶたくましくなった。指導者の方や仲間に本当に恵まれて、支えていただいて甲子園でも打席に立てた。うれしい限りだし、ありがたいこと。3年間、早実で頑張ったことが一番の財産だと思う」と成長した愛息に目を細めていた。(松井 いつき)

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