感慨深い歓喜の輪 我喜屋監督「ずっと昔のことを…」

[ 2010年8月22日 06:00 ]

<興南・東海大相模>史上6校目の春夏連覇を果たし、ナインに胴上げされる興南・我喜屋監督

 【興南13―1東海大相模】感慨深い光景だった。マウンド上で教え子たちが歓喜の輪をつくっている。勝者だけに許される儀式。その様子を興南・我喜屋監督は穏やかな視線で見つめていた。

 「9回はほとんど試合を見てませんでした。ずっと昔のことを思い出してました」。指揮官が初めて甲子園を訪れたのは、興南1年だった66年夏。雑用係としてチームに帯同した。米国の統治下にあったため、パスポートを手に船と寝台列車で37時間かけて到着した。「ここで王さんや長嶋さんがやってるんだ」。甲子園を間近で見た体験が68年夏の4強入りの原動力となった。
 しかし沖縄県勢は夏に優勝できず「夏に勝てない沖縄」と言われてきた。「あまり言いたくないですけど、沖縄の人はある一定のところで身長が止まっちゃうんです」。春は勝てても夏は体力の差がモノをいう。そこで体格差を埋めるために徹底的に体幹を鍛え、甲子園入りする前は暑さ対策で雨がっぱを着させて練習した。春夏連覇への挑戦はハンデをはねのける戦いでもあった。
 その結果、エース島袋は6試合で783球を投げ、打線は6試合で50得点。たくましく夏を戦い抜いた。我喜屋監督の挑戦が間違いでなかったことを、子供たちが証明して見せた。

 ≪「興南旋風」指揮官も天国から応援≫42年前に、我喜屋監督が主将で4番として4強入りした「興南旋風」ナインを率いた瀬長實監督(享年62)は、今センバツ大会直前に死去した。春に続く弔いの優勝に、沖縄県豊見城市の自宅でテレビ観戦した世津子夫人(63)は「本当に最高です。お父さんが元気だったらと…。きっと、本人も一緒になって甲子園で応援していたんだと思います」と感無量だった。

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2010年8月22日のニュース