68年「興南旋風」では町の機能が全て停止

[ 2010年8月22日 06:00 ]

 【沖縄の夏の甲子園】 

 ☆初出場 58年に首里が初めて出場。1回戦で敦賀(福井)に0―3で敗退。当時、米国統治下の沖縄は検疫で甲子園の土を持ち込めず、後に日本航空の客室乗務員が球場近くの海岸の石を集めたモニュメントを贈った。
 ☆初勝利 63年に2度目の出場の首里が2回戦で日大山形に4―3で逆転勝ち。応援席は大阪沖縄県人会の呼びかけで約1万人が集結。エース玉那覇は「投げていて沖縄と本土の心の結びつきを肌で感じた」。
 ☆興南旋風 沖縄返還4年前の68年、現監督の我喜屋主将らの活躍で快進撃。米国統治下で渡航許可書を持ち、船で19時間、寝台列車で18時間かけてやってきた甲子園で4強入り。試合中の沖縄は町の機能がすべてストップするほどの熱狂ぶりだった。
 ☆2度の準優勝 沖縄の高校野球の父とも言われる栽弘義監督に率いられた沖縄水産が90、91年と2年連続で決勝進出。90年はエース神谷が力投も天理(奈良)に0―1で敗れ、91年は右ひじを痛めていたエース大野が打ち込まれて大阪桐蔭に8―13で涙をのんだ。

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2010年8月22日のニュース